早田ひなの発言で脚光、知覧特攻平和会館とは何か 興味を持った若者へ伝えたい館長のメッセージ
特攻隊員の遺書や手紙に「お母さん宛て」が多い理由 「お父さん宛て」は少ないの?
「特攻隊員はエリート」との評がある。戦死者のうち最年少は17歳。まだ高校生の年齢で、飛行機を操る技術だけでなく、教養や知性も兼ね備えていた。「倍率も高いと先ほど申しましたけど、そういった受験に受かるために、かなり勉強を日々重ねていったりするので、エリートというか成績優秀な方々が多いなとは思います」 知覧から飛び立ち沖縄戦で戦死した特攻隊員の平均年齢は21.6歳だった。学徒出陣の大学生は特別操縦見習士官という制度を利用し、パイロットになった。特攻隊員は全国各地から知覧に集まり、中には外国人もいた。「朝鮮(韓国)の方が11人いらっしゃいます」と羽場さん。日本の統治下だったとはいえ、故郷や家族を思う強い気持ちがなければ成し遂げられない任務だろう。 展示を通じ、若い世代に伝えたいことはどんなことだろうか。 川崎館長は「今回早田さんが特攻資料館に行きたいということで、特攻というものを知らない若者もいたと思うんですよ。そこで特攻資料館とはどういう資料館なのか興味を持っていただいた方もいるんじゃないかと思います。戦後79年が経過して、戦争を体験した方等も少なくなる中、身近な方から戦争のことを聞く機会も少なくなっていると思いますので、来館された方が当時の特攻隊の遺書や手紙等を見ていただいて、戦争により亡くなられた若者がいたという過去を踏まえて、これからの生き方をそれぞれで考えていただければいいのかなと考えております」と語る。 特に膨大な数の遺書や手紙は美しい字体や豊富な語彙(ごい)もさることながら、自分の人生がまもなく終わろうとしている中での極限の心理状態や家族への思いを見事に表現したものが多い。 遺書は母親に宛てたものが目立つが、それは特攻隊が若者中心だったということの証左だと羽場さんは話す。 「親や家族を大切にするというのは戦前から重要視されていたものだと思うんですけれども、若いゆえにやはり結婚をされてない方々が多かった。配偶者だったりとか自分の子どもがいないので、出撃前に自分が最後に感謝を伝える時に、育ててくれたお母さんを思い返して書かれているのが多いのかなと思いますね」 父親宛ての遺書が少ない理由については、「ご両親宛ても多いので、一概にお父さん宛てが少ないというわけではないです」と付け加えた。