<国と”和解”>『旧優生保護法』強制不妊訴訟 全国で初めて訴え起こした宮城の原告女性「声を上げて27年本当に長かったです」
ミヤギテレビ
『旧優生保護法』の下での強制不妊訴訟で、全国で初めて訴えを起こした宮城県内の原告の女性が、31日に国と和解した。 飯塚淳子さん(仮名・70代) 「声を上げて27年本当に長かったです」 宮城県内に住む飯塚淳子さん(仮名・70代)は、27年前に被害の声を上げ、『旧優生保護法』のもとで、障害などを理由に強制的に不妊手術を強いられたとして、国に謝罪と賠償を求めていた。 『旧優生保護法』をめぐっては、ことし7月に最高裁大法廷が「憲法違反」と判断し、岸田前首相が早期に和解する考えを示していた。 そして、31日 国が飯塚さんに1650万円の賠償金を支払うという内容で、和解した。 優生保護法被害全国弁護団・新里宏二共同代表 「飯塚さんがいなければ、この裁判は起こり得なかった。それくらい彼女の粘り強い被害の訴えが世の中を変えてきた」 飯塚さんが不妊手術を受けさせられたのは、16歳の時。 幸せな家庭を夢見て20代で結婚したが、子どもを産めない身体であることを伝えると夫は飯塚さんのもとを去っていったという。 飯塚淳子さん(仮名・70代) 「友だちの家に行くと、孫とか娘とか娘の旦那とかよくお茶飲みに来ているんですよ。そういうのを見てて、私も普通にきたらこのような幸せがあっただろうなって思うことがあります」 1948年から1996年まで存在した『旧優生保護法』の下で、当時は全国でおよそ2万5000人、宮城県内では全国で2番目に多いおよそ1400人が手術を受けさせられている。 10月には、国会で被害者などの補償金などの支給に関する新たな法律が成立している。 飯塚淳子さん(仮名・70代) 「二度とこういう差別があってはならないし、私たち死んだあとも今までみたいなことは二度と起きないようにという思いは強くある。」 飯塚さんは、一人でも多くの被害者に名乗り出て欲しいと話していた。