櫻坂46・山崎天が19歳に 最年少の13歳でグループ加入 これまでの変化を振り返る
■欅坂46「風に吹かれても」が加入のきっかけに
櫻坂46の二期生・山崎天が、28日で19歳となった。12歳でグループの前身である欅坂46に憧れ、13歳でオーディションに合格。グループ改名も経て、加入6年目の山崎が歩んできた軌跡とは。楽曲を中心に振り返り、その魅力をひもとく(崎の正式表記は「たつさき」)。 【写真】櫻坂46・山崎天 15歳と17歳のときの姿 ぐっと大人っぽくなった 大阪府出身の山崎は、2018年12月開催の『欅坂46二期生/けやき坂46三期生「お見立て会」』で欅坂46の二期生としてステージデビュー。当時の年齢は13歳で、グループ最年少だった。 加入のきっかけとなったのは前年、12歳で受けた「坂道合同新規メンバー募集オーディション」だ。2022年10月放送のラジオ番組『澤本・権八のすぐに終わりますから。』(TOKYO FM/毎週日曜24時)では「アイドルになろうと思ったことは正直、1回もなくて憧れたこともなかったんですけど、欅坂っていうグループがすごく好きで、欅坂に入りたいという感じだったので」と、オーディション受験の背景を明かしていた。 転機となったのは、自身が小学5年生の頃に発売された欅坂46の5thシングル表題曲「風に吹かれても」だったとも。欅坂46の代表曲であり1stシングル表題曲であった「サイレントマジョリティー」のMVの印象について、当初は怖かったと意外な感想を吐露しつつ、「風に吹かれても」で「『サイレントマジョリティー』のグループだったんだってなって、アイドルのイメージが180度変わったというか、そこで一気に好きになって受けてみようかなって自分から応募しました」と振り返っている。
■改名を経た分岐点の楽曲「Buddies」でセンターを託され
加入当初から“てんちゃん”の愛称で親しまれている山崎は、2020年10月の欅坂46から櫻坂46への改名後に一躍、パフォーマンスで頭角を表す。 櫻坂46の1stシングル表題曲「Nobody's fault」で、15歳で自身初の表題曲メンバーとなって以降、10月23日にリリースする10thシングル「I want tomorrow to come」まで、10作品連続で表題曲のメンバーに。ファンの愛称を冠した1stシングル収録曲「Buddies」でオリジナルポジションでのセンターを初めて託されたが、未来を見越しての采配だったのは想像にたやすい。 改名を境にして、二期生が「グループを引っ張っていかなければいけないと周りからも言われていますし、自分たちでもそう感じています」と明かしたのは、1stシングル「Nobody's fault」リリース当時のインタビューだ。以降、名実ともにグループを背負う立場となった山崎は、16歳で3rdシングル「流れ弾」で自身初の表題曲フロントメンバー入り。4thシングル表題曲「五月雨よ」で、自身初の表題曲センターを射止めた。 ストリングスの音色も耳に残る「五月雨よ」のステージでは、晴れやかな笑顔を見せる。かたや、同期の森田ひかるとの“Wセンター”で“野生と理性”を表現する1stアルバム「As you know?」収録のリード曲「摩擦係数」では、挑発的な表情に。表題曲で初めて一期生が不在となり、二期生と三期生のみでフォーメーションを構成した8thシングル表題曲「何歳の頃に戻りたいのか?」では、加入から5年強、18歳となった山崎がセンターとして勇ましく立ち振る舞うなど、表現の幅は底知れない。