「不登校は社会的コスト」フランスの厚い支援体制 根底には「責任ある市民を育てる」という価値観
市町村と学校の二重体制で登校していない子を把握
では、欠席が続く場合はどうなるのか。子どもの欠席情報はオンラインで教育委員会に共有され、月2日以上の欠席が確認されると、まずは教育委員会から親に対して子どものサポート方法の提案などがなされる。 さらに月5日以上子どもが登校しない場合は、子どもの権利が守られていない「心配な状況」とみなされ、児童保護(18歳未満)の対象になる。「心配な情報」は子どもの状況を知っている人全員がそれぞれの視点から県の統括部署に連絡する義務があり、その情報を踏まえて児童保護分野の専門チームが、家庭全体に対して集中的な支援を行っていく。 状況が判断できない、あるいは支援が有効でない場合は、子ども専門裁判所の検事に連絡がいき、一時保護や司法調査の対象になる。子ども自身が全寮制の公立校(3歳から入れる)を選ぶケースもある。 一方で、市町村長には、在住する子どものリストをつくり、滞在許可や安定した住居の有無にかかわらず、すべての子どもがどの学校に行っているか私立も含め確認する義務がある。市町村と学校の二重の義務により、登校していない子どもの把握漏れがない仕組みにしているのだ。 フランスにおいて、2021年度に医師の診断のない月2日以上の欠席をしたのは中学生の4.2%、欠席が継続し教育委員会が対応した中学生は0.5%だった。日本においては、文部科学省の調査によれば、2022年度に年間30日以上欠席したのは中学生の6%、小学生の1.7%、うち約4割は学校内外の相談機関などで相談をしていない。フランスの欠席基準は、日本の30日に対し2日とかなり短い。この短さが、子どものウェルビーイングと権利を確保するためのサポート体制構築の早さにつながっていると思う。
日本は「学校に行く意味」を問い直す必要がある
このほか、登校に課題があり、継続的な支援が必要な子どものために用意されている場所もいくつかある。ただし、パリ市の教育委員会にヒアリングした限り、いずれも日本の学びの多様化学校(不登校特例校)のように特別の教育課程を編成する場所ではない。学校内でサポートを受ける、あるいは学校に行きながら放課後に通う形を取っており、すべての子どもが国の示す水準の教育が公的費用で受けられることを優先している。 県が提案する継続的な支援の多くは、下図のような民間の専門機関が担うものだ。国の社会保障予算か県の児童保護予算によって運営されているため、子どもたちは無料で通える。 いずれもエデュケーターが中心となり親子に関わる。例えば日中受け入れ機関では、人間関係や感情のコントロールなどの課題を3カ月で克服するプログラムを用意している。いじめの加害や被害などで一度学校から離れてケアをする必要がある場合は、最長2年かけて一般の学校に戻ることを目指す受け入れ機関もある。 このような場所で力を入れているのは、過去のケア、家族関係のケア、自信を育てるためのアクティビティーの提案だ。エデュケーターは、子どもが自身の経験についてプラスのイメージを持てるよう、家族と話す機会や喜びを感じる機会をつくるほか、さまざまなアクティビティーを基に子どもたちの好奇心や好みを刺激して社会的心理的能力も育む。そして、「君はこんなすばらしい可能性がある」と見つけ励ます。子どもたちは自信をつけると、自ら勉強に励み一般の学校に戻っていく。 このようにフランスでは教育の平等が図られているが、同じ資格、同じ大学院卒でも就職先は平等ではないという課題がある。そんな不平等な社会への不満があふれる中、よりよい社会を実現するため「責任ある市民」を育てようという価値観が教育現場を支えており、それが不登校の対応にもつながっている。 フランスの教育省の学校生活責任者は、学校に行く理由を「聡明で自由を得た市民になるため」と言う。影響やプレッシャーに負けることなく情報収集して自分で判断することができて初めて自由でいられ、自由であることで市民として行動できるという意味だそうだ。 日本は、そのように学校に行く意味を明確に共有できているとは言いがたい。共有すべき価値観や哲学が曖昧であるゆえ、子どもの権利の保障の程度が親次第となるリスクに加え、実際のサポートも学校次第、出会い次第という不確かさがある。すべての子どもにとって頼りにできる大人がたくさんいる体制を構築すること、国が教育や学校の意味を国民に伝え直すことが、日本の不登校問題を解決する一歩となるのではないだろうか。 (写真:安發氏提供)
執筆:安發明子・東洋経済education × ICT編集部