大阪からニュービジネスを。経済取材歴40年「日本一明るい経済新聞」編集長の思い/大阪
20代の新米記者時代から60代半ばの現在まで、経済畑の取材ひと筋。40年を超える経済取材歴は関西有数だろう。「日本一明るい経済新聞」編集長の竹原信夫さんは、中小企業の取材を精力的にこなしながら、若手事業家の育成にも心を砕く。「青年よ、アイデアを抱け」「大阪から新商品ニュービジネスを発信せよ」―竹原流の熱いメッセージはこれだ。
新聞社で東京転勤打診され「大阪で取材続けたい」と退職
緑陰涼やかな靱公園(大阪市西区)に隣接する「日本一明るい経済新聞」編集室。約束の時刻に待っていると、日盛りの中、自転車をこいで竹原さんが帰ってきた。 都心の取材は自転車で移動。東大阪市周辺のものづくり現場の取材でも、折り畳み式自転車を担いで電車で最寄り駅まで。そして組み立てた自転車で町工場街を駆け巡る。NHKテレビ「おはよう関西」の元気な中小企業コーナーで、リポーターを務めているから、お顔をご存知の読者も多いことだろう。 竹原さんは長らく産経グループの経済新聞で記者活動に従事。東京転勤を打診された際、「勝手知ったる大阪で取材を続けたい」と退職を決意。2001年、産業情報化新聞社を設立して、「日本一明るい経済新聞」を創刊した。持ち前の足で稼いだ多彩な企業情報と、にぎやかな見出しが読み手の関心を引き出すスポーツ新聞感覚のレイアウトなどで、経済新聞界に新風を巻き起こす。 紙面作りに際し、取材するテーマやジャンルをあまり決め込まない。「竹原さん、おもろい社長さんいてはるけど、紹介しましょうか」と、人づてに飛び込んでくる生情報を最優先して、新しい取材先を開拓する。
今の若者たちにも可能性は眠っている
最近の紙面から拾い読みしてみよう。社員投票で慰安旅行の行き先を決め、子ども1日社員デーを開催して、男女平等の幸せづくりを進めるは、「プロアシスト」(大阪市)だ。 記念日などに贈るケーキの手紙「メールケーキ」で躍進する洋菓子店「ラ・ファリーヌ」(同)。ゆるキャラブームに乗って、着ぐるみの製作や修理に追われる「ふわふわ」(大阪府茨木市)。中小企業経営者たちのたくましさが紙面にみなぎっている。 一方、現在の若手世代に対しては、ハングリー精神が薄れ、攻めより守りに入っているのではないかと指摘する声が少なくない。しかし、竹原さんは「地方から大阪へ出てきて、ひと旗揚げようという、貧しくても野心に満ちた人たちが大勢いたころとは、時代環境が違う」と前置きしたうえで、「今の若者たちにも可能性は眠っている」と指摘する。 その可能性を開花させるのは、若者らしい固定観念にとらわれないアイデアだ。「自分が欲しいものは何か。こんな商品やサービスがあれば、もっと便利になるし、毎日が楽しくなる。そんなアイデアを提案し実現して、社会に貢献してほしい」(竹原さん)