堀江瞬&江口拓也『ヤマト』思い出語る 野球部の応援ソング・欲しかったプラモデル
――監督や福井さんからはどんなディレクションがあったのでしょうか? 堀江:アフレコは(アルフォン役の)古川さんと(森雪役の)桑島(法子)さんの3人でやらせていただくことが多かったんですが、そこで僕が一番言われたのが「もっと小姑のように」とか「雪をもっといじめてください」ということでした。ただ本来は、その役と本人は切り離すべきではあるのですが、あまりにも桑島さんがいい人過ぎて。なんだか本当の女神さまみたいにいつも優しく話をしてくださったんです。だから役の上とはいえ、足蹴(あしげ)にするのは本当に大変なことだなと思い悩みながら。それでも心にむち打って雪をいじめました(笑)。 江口:ランベルに関しては、感情的な部分みたいなものは出ていい、と言われました。ある意味で楽しんでいるというか、テクノロジー的には勝つことが当たり前のように思っていてほしいと。だからこそその中に、喜びとか、興奮とか、楽しんでいる部分が出てくる。だから砲撃を撃つ時も「無限ベータ砲、発射!」というセリフがあったんですけど、これは熱いなと思って(笑)。なかなか「何とか砲発射!」なんて言う機会もないですからね。だからそのセリフがあったときに、ランベルは楽しんでいるんだなと思って。「(高揚した感じで)無限ベータ砲、発射!」って言ったら「楽しみすぎです」と言われてしまった。そうか、そこまで楽しんじゃいけなかったんだなと思いましたが、そのバランスみたいなものはそこでできあがりました。 ――「宇宙戦艦ヤマト」も今年で放送開始から50周年という歴史があるわけですが、おふたりが「ヤマト」に初めて触れたのはいつごろですか? 堀江:しっかり「ヤマト」という作品に関わったのは「REBEL3199」からなんですが、でも本当に僕らの世代でも、学生時代に吹奏楽部の子たちが野球部とかの応援をするときにも「宇宙戦艦ヤマト」を演奏したりしていたので。そういう意味ではティーンの頃から存在の大きさをひしひしと感じていました。 あと学生時代はけっこうオタクだったので、好きなアーティストの方が映画の主題歌を担当することになったときに、観たいなと思ったこともありました。だから最初は曲から入って、という感じでしたね。それこそ僕がいち観客として劇場で見たときに感じたのは、心というものを考えさせられる作品だなということ。人間らしくやろうとする人たちと、そこに逆らおうとする人たちがいて。墓前で手を合わせるとか、遠くにいる誰かのことを思って空を見上げるとか。 それこそイジドールのセリフにもあったんですけど、やっぱそういう行為が彼らにはすごく奇怪な行動に見えるけれど、その気持ちってやはり人間であるからこそ理解できるものなんだなと。その対比として、たとえば誰かと誰かがけんかをして片方が出ていってしまい、残されたもう片方の人にロボットが「追いかけなくていいんですか?」と問いかける、というくだりは、意外とロボットの方が人間の気持ちに近かったりして。そういうなんか アンビバレンスな描かれ方に僕はすごくグッときて。もしかしたらそういうところもたくさんの方に支持されてるところなのかと思います。 江口:僕らの世代はとにかくテレビの「懐かしアニメ特集」ですよね。ヤマトが地球に帰るときの沖田艦長のシーンを何度見たんだろうというくらい。もう本編を全部観たんじゃないかと錯覚してしまうくらい何度も観ました。小学校の頃、ヤマトのプラモデルが欲しかったんですけど、子どもからするとめちゃくちゃ高かったんです。大人向けのプラモデルという感じだったので。だから欲しかったけど手に入らなかったもの、という感覚もあります。だから大人になってヤマトに触れてみて感じたのは、ロマンがあるなということ。人間側の背負ってるものの大きさもそうだし、その人たちが宇宙で繰り広げる一進一退の攻防戦。デザリアムにはデザリアムの正義があるわけで。そういうのもやっぱり熱いし。情熱が詰まってるから、人は見ていてグッとくるんだろうなと、これぞロマンだなと思いました。