「私たちの運動、次の世代の皆さんに」…被団協・田中熙巳さんの記念講演要旨
今年のノーベル平和賞の受賞を受け、被団協代表委員の田中熙巳さん(92)が行った記念講演の要旨は次の通り。 【動画】被団協、ノーベル平和賞を受賞
私たちは1956年8月に「日本原水爆被害者団体協議会」(被団協)を結成しました。生きながらえた原爆被害者は歴史上未曽有の非人道的な被害を再び繰り返すことのないようにと、二つの基本要求を掲げて運動を展開してきました。一つは、日本政府の「戦争の被害は国民が受忍しなければならない」との主張にあらがい、原爆被害は戦争を開始し遂行した国によって償われなければならないという運動。二つは、核兵器は極めて非人道的な殺りく兵器であり人類とは共存させてはならない、という運動です。
しかし、依然として1万2000発の核弾頭が地球上に存在し、4000発が即座に発射可能に配備がされている中で、ウクライナ戦争における核超大国のロシアによる核の威嚇、パレスチナ自治区ガザに対しイスラエルが執拗(しつよう)な攻撃を加える中で核の使用を口にする閣僚が現れるなど、「核のタブー」が壊されようとしていることにくやしさと憤りを覚えます。
45年8月9日、一発の原子爆弾は私の身内5人を無残な姿に変え一挙に命を奪ったのです。その年の末までの広島、長崎両市の死亡者の数は、広島14万人前後、長崎7万人前後とされています。生き残った被爆者たちは占領軍に沈黙を強いられ、さらに日本政府からも見放され、孤独と、病苦と生活苦、偏見と差別に耐え続けざるを得ませんでした。
私たちは核兵器の速やかな廃絶を求めて、諸国に要請運動を強めてきました。2016年4月、被団協が提案した「核兵器の禁止・廃絶を求める国際署名」は大きく広がり、1370万を超える署名を国連に提出しました。17年7月に「核兵器禁止条約」が制定されたことは大きな喜びです。
核兵器の保有と使用を前提とする核抑止論ではなく、一発たりとも持ってはいけないというのが原爆被害者の心からの願いです。