センバツ逃した済美 右ひじ痛だったエース安楽投手の現在
■秋季大会 右ひじ痛で降板 「安楽は今、病院へ検査に行っています。もう帰ってくる頃なんですが・・・」 済美高校野球部の上甲正典監督は、そういって時計に目をやった。つられて自分の腕時計に目を落とすと、午後6時を回ったところだった。 どんな結果が出るのか。9月の秋季大会で右ひじを痛めて途中降板した2年生エースの安楽智大は以来、キャッチボールさえ控えて、回復に務めてきた。 もう、かなり前から痛みなどはなかったが、それでも監督が「今度やったら、もう投げられなくなるぞ」と釘を刺し、ボールを握らせなかった。 ■上甲監督「高校生は難しい」 12月17日、再検査。果たして・・・。 待つ間、済美球技場の監督室で、7月の愛媛県大会から、8月の甲子園、そして、故障をした秋季大会へ至るまでの安楽の状態を伺った。 すると上甲監督はまず、「高校生は難しい・・・」と呟くように言って、腕を組んだ。安楽が、一度調子を落としたのは6月終わりのこと。これはしかし想定内で、6月の1ヶ月間、走り込みの量などを増やし、追い込みをかけた。疲れはピークに達していた。 その時の疲労をとってから臨んだ7月の愛媛県大会では、157キロをマークするなど、順調。安楽本人も、「悪くなかった」と、手応えを口にしている。甲子園出場を決めると、やはり当初からの予定通り、監督は安楽を休ませ、疲れをとることに専念させた。その後再び、大会に向けて状態を上げる、というプランを組んだのである。 ■プレッシャーもあったかもしれない ところが、そこで誤算。安楽が体調不良で、ダウンしたのだ。 監督は、「プレッシャーもあったのかもしれません」と春の選抜大会以降、米メディアにも取材を受けるなど、注目度が高くなったことを一因に挙げたが、仕上げにかかろうというときの、この体調不良の影響は小さくなかった。 初戦までに体を仕上げると言うより、戻すのが精一杯。満足に走り込みも投球練習も出来ず、フォームの安定感を欠いたまま甲子園本番を迎えることとなった。不安は的中する。初戦(2回戦)こそ辛くも突破したが、7失点。続く敗れた3回戦も延長10回で7点を奪われるなど、本来の躍動感は鳴りを潜めた。