引退発表で鳥栖のFトーレスが明かしたサプライズなセカンドキャリア計画
アトレティコからリバプール、チェルシー、ACミランとビッグクラブを歩んだトーレスにとって、残留争いの修羅場は経験したことがなかった。トーレスを翻意させ、本人をして「人生のなかで最も困難な挑戦」と言わしめた移籍を決断させたのは、竹原社長のあふれんばかりの熱意だった。 「異なる文化や習慣、言語のなかで非常にストレスフルな時期もあったが、新しい経験を積むことができた。日本に来る前より成長できたのではないか、といまでは思っている」 3勝2分けとラスト5戦を無敗で乗り切り、J1残留を果たした昨シーズンの最終節後にトーレスはこんな言葉を残していた。陰日なたで常にフォローし、特にメンタル面での成長を導いたことで、トーレスから「友人」と呼ばれる竹原社長も、次期アドバイザーと歩む新たな道を具体的に描いている。 たとえば鳥栖市内にトーレスの名前を冠したグラウンドと大会を創設する。仮に「トーレスフィールド」と「トーレスカップ」と命名された舞台で秀でたプレーを見せた、将来が嘱望される子どもたちをスペインへ派遣。あるいはトーレスが母国で見出した、スペインの子どもたちも大会に参戦させる。サッカースクールの開催を含めて、夢はどんどん膨らんでいく。 涙腺が脆いと認める竹原社長はトーレスから引退を切り出されたときに、男泣きしながら「ウチがもう少しゴールを奪えるチームならば、引退の時期も延びたのでは」と言葉を返した。トーレスは「それは言わないでほしい」とねぎらい、むしろ幸せな決断だと笑顔を浮かべたという。 「最後まで全力を尽くす。できるだけ多くの試合に出て、できるだけ多くのゴールを決めたい。ここからさらに成長していくために、トレーニングを積んでいきたい」 最新の順位で最下位にあえぐサガンの上位浮上に、少しでも尽力したいとトーレスは現役選手として最後の炎を燃やすべく前を向く。佐賀県鳥栖市で生まれた日本とスペインの間の強く、太い絆はあと8試合で終幕する第1章をへて、サガンの未来へとつながる第2章へと紡がれていく。 (文責・藤江直人/スポーツライター)