「平和主義」コスタリカに本当に軍隊はないのか?
安全保障法制の議論が進むことで、戦後日本の外交・安全保障政策は大きな転機を迎えつつあります。そんな中、常設軍を廃止したコスタリカが一つのモデルケースとして注目を集めています。コスタリカの平和主義について考えます。(国際政治学者・六辻彰二) 【図】集団的自衛権など安全保障めぐる15事例
内戦をきっかけに「軍隊」廃止
中米のコスタリカは、人口およそ487万人。国土面積は九州と四国を合わせた位の約5万1100平方キロメートルの小国です。この国では、1949年に常設軍が禁止されました。 その直接のきっかけは、1948年の内戦でした。この年の大統領選挙で、野党のオティリオ・ウラテ候補が与党のカルデロン・グアルディア候補に勝利。しかし、カルデロン陣営はこの選挙結果を無効としたため、野党のホセ・フィゲーレスが蜂起。コスタリカは内戦に突入したのです。 カルデロン政権と関係がよくなかったグアテマラ政府から支援を受け、フィゲーレスは内戦に勝利。翌1949年に、新たな憲法が採択されました。コスタリカ研究者の山岡加奈子氏によると、このとき前政権の支持者が多かった軍隊の力を削ぐために、フィゲーレス暫定大統領は「常設機関としての軍隊の禁止」を憲法に盛り込んだといいます。こうして、「軍隊を持たない国」コスタリカが誕生したのです。
憲法で「交戦権」は否定されず
軍隊の廃止により、その後のコスタリカでは、中南米でよくある、クーデタによる政権打倒といったことはなくなりました。また、軍事予算は教育予算に回されるようになり、世界銀行の統計によると、GDPに占める教育予算の割合は中南米の平均で4.5%(2012年)ですが、コスタリカのそれは6.9%(2013年)にのぼります。 しかし、常設軍はないものの、現行憲法でもアメリカ大陸の安定や国防のための交戦権は否定されていません。そのため、有事に臨時の軍事組織を編成することは憲法上可能で、その場合に国民は予備役として参集することが求められます。この点で、日本と異なります。 予備役制度は、旧体制派の反乱を懸念したフィゲーレスが、自らに近い立場の者を訓練し、武力対立の可能性に備えていたことを背景に生まれたといわれます。実際、1955年に隣国ニカラグア政府の支援を受け、旧体制派が国境を越えて侵入したときは、予備役が参集しました。ただし、その後、実際に予備役が参集する機会はありません。