【侵攻2年】アメリカ亡命のロシア人記者が語る 苦悩と決意
ロシアでは、反戦の声が消えつつあります。 プーチン政権を批判してきた独立系メディアは、そのほぼ全てが、この2年で活動停止を余儀なくされ、多くの記者が国を追われました。言論弾圧により国を追われたロシア人記者は、ウクライナ侵攻から2年という節目に何を思うのでしょうか。
プーチン政権が奪った「言葉」
サタデーステーションが向かったのは、アメリカ・ジョージア州。取材に応じてくれたのは、ロシアで記者として働いていたリザさん、26歳です。侵攻開始直後、身の危険を感じ、親族が多くいるアメリカに亡命しました。しかし、ロシアから離れていても、安心は出来ないといいます。 ロシア人記者リザさん(26) 『同僚だったエレナは、去年、ドイツにいたのに毒殺されかけました。記者の仕事はあまりに危険すぎる』
リザさんがロシアで勤めていたのは、プーチン政権を厳しく批判し続けてきた、国内最大の独立系新聞『ノーバヤ・ガゼータ』です。創設以降、6人もの記者らが殺害され、脅迫も日常茶飯事。リザさんが入社した直後には、新聞社に羊の生首が届けられたと言います。 それでも「表現の自由」を守り続け、2021年、編集長のムラトフ氏がノーベル平和賞を受賞しました。しかし、この受賞からわずか4か月後に始まったのが、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻です。数日後、リザさんたちがロシア国内で発行した紙面には、ある変化が… ロシア人記者リザさん(26) 『わざと空白を作ったんです。“戦争”について書くことが禁じられたから』
「言葉」を検閲で奪い始めたプーチン政権への抵抗です。しかし、わずか1か月で休刊に追い込まれると、リザさんの同僚2人の命が狙われ、さらにムラトフ編集長も赤い液体を掛けられ、負傷しました。 ロシア人記者リザさん(26) 『襲撃の知らせを聞くたび、何日も動けず、動揺して泣いて、胸が張り裂けそうでした。「ノーバヤ・ガゼータ」は私の第二の家族だったから』