【侵攻2年】アメリカ亡命のロシア人記者が語る 苦悩と決意
職場は新聞社から自動車修理工場に 同僚はウクライナ避難民
失意のなか、アメリカに亡命したリザさん。パソコンに向かうのも、記事を書くためではなくなりました。実は、今の職場は自動車修理工場です。 ロシア人記者リザさん(26) 『記者の仕事を探すには時間が要ります。アメリカに来た頃は、その余裕もチャンスもありませんでした。すぐに家族の生活費を稼ぐ必要がありましたから』 現在リザさんは、夫や自身の両親たちと暮らしています。両親はアメリカの民主主義に憧れ、侵攻前に亡命。リザさんと夫も侵攻後、両親がいるアメリカに助けを求めました。こうしたロシア人は、意外にも急増しています。侵攻が始まってから、アメリカには9万人以上のロシア人が逃れてきました。バイデン政権は“移民の国”アメリカらしく、敵対国であるロシアからの亡命でも歓迎すると表明しています。 リザさんには“移民の国”ならではの出会いもありました。ウクライナ人のバイラムさんです。去年7月、アメリカに逃れてきました。アメリカ国内にいるウクライナ避難民27万人の1人で、今ではリザさんの同僚です。 ウクライナ避難民バイラムさん(48) 『リザには心から感謝しているんです』 ウクライナ人のバイラムさんがロシア人のリザさんに感謝する理由とは…
プーチン政権が奪った「日常」 ロシア人記者の後悔
この日、仕事を終えたリザさんが訪れたのは、バイラムさんの自宅です。 ウクライナ避難民ジャンナさん(45) 『こんばんは。元気だった?』 両手を広げてリザさんを出迎えたのは、バイラムさんの妻、ジャンナさんです。渡米直後に緊急手術を要する大病を患いました。一家全員、英語が話せず困り果てていたところ、無償で通訳を引き受けたのが、リザさんでした。その後も、公共料金の支払いなど、英語が不可欠な手続きを定期的にサポートしています。 ウクライナ避難民バイラムさん(48) 『リザは何というか、もはや家族です。彼女はロシア人、私たちはウクライナ人ですが、問題なんてありません』 ただ、ロシアがバイラムさん一家から日常のすべてを奪ってきたことに、変わりはありません。妻のジャンナさんが見せてくれたのは、激戦が続くウクライナ東部の自宅を撮影した動画です。屋根の至る所が3度の空爆で抜け落ち、外壁には攻撃の痕が生々しく残されていました。近隣住民が撮影したこの動画で、一家はこの惨状を知ったといいます。