「高卒認定試験へ挑戦」「X上では大人びた言動で称賛」…。なぜ我々は「青年革命家ゆたぼん」の成長にこうも心動かされてしまうのか?
アリーは、社会の欺瞞にうんざりし、家族を引き連れて中米のホンジュラスへ移住を企てる。何もない未開の土地で、新しい理想郷を創造することが目的だった。雇い主には「仕事をやめ、荒れ果てたこの国を後にする」などと書いた手紙を残して。 アリーは、学校教育を否定し、ジャングルで生きた知識を学ぶことを推奨する。最初は、土地の開墾や家屋の建築といったインフラ整備が順調に進み、生活が軌道に乗るが、武装した集団が迷い込んできたことで理想郷の崩壊が始まる。
チャーリーは、最終的にアリーの独断が家族の命を危険にさらしていることに気付き、アリーの暴走による被害を最小限に抑える立場におかれることになる。後半は、アリーが自業自得といえるトラブルに巻き込まれ、事実上の「父殺し」が完了する流れになっている(映画では瀕死のアリーとそれを見守る家族を描いて終わるが、原作ではアリーの死後の再出発までが生々しく描かれる)。 初めて父親とは異なる生き方を選び、地獄のようなジャングルからの脱出を図るのだ。チャーリーは、父親を妄信し追従していたが、彼も過ちを犯す一人の人間に過ぎないということを発見したのである。これは通過儀礼の典型でもある。
■現代は大人への「通過儀礼」がない時代だ 神話学者のジョーゼフ・キャンベルとジャーナリストのビル・モイヤーズの対談集『神話の力』(飛田茂雄訳、ハヤカワ文庫)で、現代の社会では、「少年」が「おとな」になるという明確な時点が存在しないことが議論に上り、「これは親たる者にとって大問題」と指摘した。 キャンベルは、自身の子ども時代について、実業家の父親から跡継ぎ候補として2カ月ほど一緒に仕事をし、「だめだ、とてもこの仕事はできない」と思ったことを振り返る。そして「人生にはそういうテスト期間がある。自力で飛び上がる前に、どうしても自分をテストしてみる必要があるんでしょう」と述べた(同上)。