「平家」と「源氏」が戦った「運命の土地・一ノ谷」…その「土地の力」を感じるための「最良の方法」
「和歌」と聞くと、どことなく自分と縁遠い存在だと感じてしまう人もいるかもしれません。 【漫画】床上手な江戸・吉原の遊女たち…精力増強のために食べていた「意外なモノ」 しかし、和歌はミュージカルにおける歌のような存在。何度か読み、うたってみて、和歌を「体に染み込ませ」ていくと、それまで無味乾燥だと感じていた古典文学が、彩り豊かなキラキラとした世界に変わりうる……能楽師の安田登氏はそんなふうに言います。 安田氏の新著『「うた」で読む日本のすごい古典』から、そんな「和歌のマジック」についてご紹介していきます(第16回)。 前の記事『「平家」と「源氏」の「大きなちがい」とはなんだったのか…日本の古典の「重要な土地」を訪れて気づいたこと』からつづきます。
「逆落とし」の山道へ
一ノ谷の戦いで源義経が馬で駆け下りたという鵯越(ひよどりごえ)の道を見てみたいと、山に登ることにしました。 山を登って行き、源義経が鵯越の逆落としの最後のアプローチにかかったあたりに、ちょうど見晴らしのいい場所がありました。そこからは須磨の浦、一ノ谷がすぐ下に見えます。 そうそう。実は鵯越の逆落としはここではなかったという説や、だいたい逆落とし自体がなかったという説もあります。しかし、歌枕探訪、謡跡探訪にはそういうことはどうでもいい。だって『源氏物語』跡などはもともとフィクションなわけですから。そういうことはあまり気にせずに探訪を楽しみます。 まずは、義経が逆落としをしたといわれる坂を走り下りてみます(危険ですから脚力に自信のある方以外はしないでください)。さすがに急斜面。人間でも怖い。ここを馬で下りるのはいかほどかと今さらながら義経の胆力に恐れ入ります。 坂を再び登り、見晴台の石に座り、義経のことを思いながらスマホを取り出してツイートをしました。 「今でこそ蛇行する山道があるが、これがなかった当時は、ほぼ直角の山を70騎で下りたのだろうか。しかもおそらくは足音を忍ばせて」
不思議な「赤とんぼ」
すると、どこからともなく赤とんぼが飛んできて、私の右肩に止まりました。とんぼを肩に止めたままツイートを続けました。すると赤とんぼは肩から飛び立ち、今度はスマホの右上に止まりました。 それでも気にせずにツイートを続けていました。 文字を打っているのに赤とんぼはまったく逃げようとしません。さすがに不思議に思って、文字を打つ手をとめて赤とんぼを眺めたとき、赤が平家の色ということに気づきました。 それをツイートするために「このとんぼの写真を撮っておこう」とデジカメを取り出した途端に、赤とんぼはいなくなってしまいました。 「ああ、残念」と思っていると、そこに今度は白い蝶が現れてゆったりと舞い出したのです。白といえば、むろん源氏です。 能のシテは、旅の僧であるワキに向かって、「私の亡き跡を弔ってください(我が跡、弔ひてたびたまへ)」と謡います。いま出現した赤とんぼと白い蝶も、ワキ方である私に向って、その跡を弔うことを求めているのかも知れないと思い、能のワキ僧よろしくお経を唱えました。