1995年1月16日、阪神・淡路大震災の前夜 3つの家族が過ごした日常
わずか十数秒の揺れが穏やかな日常を奪った。けれど30年がたったいま、「被災地」と呼ばれた街では目を凝らしても傷痕は見えにくく、あの日の話が語られることも少なくなった。私たちは阪神・淡路大震災直後から受け継がれてきた何冊もの取材ファイルやスクラップをめくり、3組の家族に会いに行った。大切な「あなた」を心に抱きしめ、この街で生きる人たちだ。それぞれの日常があった震災前夜の記憶からたどりたい。(年齢と住所は1995年1月当時) 【写真】1・17直後、被災者の肉声テープ発見 当時のラジオ中継、取材リポーター「伝えなければ」 ■登山から帰宅熱出た娘 神戸市灘区・田村さん家族 「さーちゃん、もうちょっとやで」 1995年1月3日昼。父稔さん(49)と母善子さん(42)に励まされ、長野県と山梨県にまたがる八ケ岳連峰・赤岳(2899メートル)の頂上に、神戸市立成徳小学校5年の田村紗綾香(さやか)さん(10)はたどり着いた。 高校2年と中学1年の兄、両親の友人と一緒に前日から登った。氷点下10度の寒さはまるで別世界だ。休憩した山小屋ではタオルがぴーんと凍りついた。岩肌を覆う雪に日差しが反射する。リュックを背負ったまま、紗綾香さんは満足そうに携行食のジャーキーを頰張った。 紗綾香さんが体調を崩したのは登山から帰ってしばらくした16日夜のことだ。「しんどい」と起きてきた。「熱、測ってみよか」と稔さん。38度あった。 一緒にベッドに行くと、枕元にお茶を入れたコップがある。「さーちゃん、えらいね。自分でお茶入れてきたんか」。うなずいた紗綾香さんは、そのうち眠りについた。 夜明け前。一家が暮らす神戸市灘区友田町4の文化住宅は倒壊する。1階が押しつぶされる。紗綾香さんの胸の上に、重い梁(はり)が落ちてきた。(上田勇紀) ■妻と語った娘の未来 西宮市・羽中さん家族 16日夜。西宮市甲東園の一戸建て住宅では、女の子が「美少女戦士セーラームーン」の塗り絵に夢中になっている。 羽中健二さん(32)と妻の幸恵さん(34)、長女愛梨(えり)ちゃん(5)、そして長男敬登(けいと)ちゃん(11カ月)が暮らしている。 「愛梨はピアノを習わせて、インターナショナルスクールに入れたいな」「敬登は泥くさく育てたいわ」。夫婦は笑い合う。子どもたちの未来を想像するだけで楽しかった。 「もう寝よか」 健二さんが塗り絵に夢中の愛梨ちゃんに言う。3連休の最終日。健二さんの休日をいつも楽しみにしていた愛梨ちゃんが「お休み、終わってほしくないなあ」とつぶやく。 幸恵さんと子どもたちは1階の和室で布団に入った。仕事で朝の早い健二さんは2階へ。階段を上がる前、幸恵さんに声をかける。 「電気消そか?」 「私、消しとくよ」 夜明け前の激震で1階がつぶれる。がれきの下から敬登ちゃんの泣き声が聞こえる。幸恵さんは2人の子どもを両脇に抱え、愛梨ちゃんとともに息絶えていた。 健二さんと敬登ちゃんが残された。(村上貴浩) ■寺継いだばかりの夫 神戸市須磨区・冨永さん家族 神戸市須磨区の古刹(こさつ)・須磨寺の塔頭(たっちゅう)「蓮生院」では16日夜、久しぶりに一家7人が食卓にそろった。 住職の冨永龍心さん(43)と妻の明子さん(41)、そして4人の子ども。きのう退院したばかりの明子さんの母親も一緒に湯豆腐をつつく。「ちょっとは落ち着くかなあ」と龍心さんがほほ笑んだ。 いつになく慌ただしい年末だった。2カ月前に明子さんの父真弘さんが亡くなり、四十九日に合わせて婿養子の龍心さんが跡を継いだ。「これから頑張っていかなあかんな」と気負いもあった。 夕食の後、小学5年の長男龍弘さん(11)と双子の次男は、学校ではやっているテレビゲームの話を龍心さんに聞いてもらっている。 「先に寝るね」。8時を過ぎたころだろうか。明子さんは末っ子の次女(3)を連れて寝室へ。本堂にある和室に布団を並べて眠った。1、2時間遅れてほかの子どもたちと龍心さんも、本堂と庫裏に分かれて順に眠りについた。 夜明け前の激震で本堂が崩れる。壁際で寝ていた龍心さんが梁(はり)や壁土の下敷きになる。妻と幼い子どもたちを残し、住職が逝った。(井上太郎)