【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第22回 <スウェーデン大使館ーー王政500周年で始まるリノベーション>
■大使の思い 壁に書いた「日本とスウェーデン 未来へ」
大使公邸の内部が公開された6月1日。ヘーグベリ大使は取材に参加した約30人と大使館の変遷のパネル展示を見て回り、大使館の壁に「Japan/Sweden in to the future」と書いて自身の似顔絵を添えました。大使館の過去、現在、未来とつながるパネル展示を担当した演出家の小栗了さんも「スウェーデンと日本の未来へ! Ryo Oguri」と書き、2人は握手を交わしました。 続いて小栗さんプロデュースのレーザーとスモークによるオーロラショーが始まり、空間に描き出される青や緑の幻想的な広がりが極地のオーロラを思わせます。その後、レセプションなどに使われる大使公邸の大広間や、公式晩さんのテーブルセット、太鼓橋がかかる公邸の庭などが披露されました。ゆったりとした間取りに北欧調の家具。超高層ビル群の中なのにこんなに空が広いかと思うほどに開放的な気分を味わいました。
■独立戦争を経て代表民会が決めた国王
今に続く王政がスウェーデンで始まったのは1523年の6月6日。その日は「国旗の日」とも呼ばれるナショナルデーです。 スウェーデンはヴァイキングの時代を経て、14世紀末からノルウェー、デンマーク、スウェーデンの3国で同じ国王を戴く同盟を結んでいましたが、デンマークとの独立戦争を経て同盟を解消し、戦争を牽引してきた若いグスタフ・ヴァーサが初代国王に選ばれました。『物語スウェーデン史』(武田龍夫、新評論)によると、国王に推薦されたヴァーサを市民の代表27人からなる「代表民会」が一致して国王に選び、それから21年後に王位の世襲が決められたそうです。
スウェーデンが日本と外交関係を結んだのは1868(明治元)年のことですが、徳川幕府の鎖国時代に日本に1年ほど滞在したスウェーデン人がいました。長崎のオランダ商館の医師だったカール・ツュンベリーです。「二名法」という動植物の学名を定着させたカール・リンネの弟子で、後にウプサラ大学の植物学と医学の正教授を務めます。 江戸参府の折、『解体新書』を翻訳した日本の医師たちに西洋医学を教え、帰国して『日本植物誌』なども著しています。2007(平成19)年5月、ロンドンでリンネ生誕300年の記念行事が行われた折、上皇さまは基調講演の中でツュンベリーが日本に残したものにスポットを当てられています。