「売名行為」と言われても 被災者に届けた演奏300回 日本フィルの13年 #知り続ける
3・11当日も続けた演奏
日本フィルは11年3月11日の東日本大震災当日もその翌日も、東京都港区のサントリーホールで定期演奏会を予定通り開いた。多くのイベントが中止を決めていた。「不謹慎だ」という苦情や批判も後に届いた。それでも、開催を決断した平井俊邦理事長(81)は後悔していない。 当日は77人、翌日は758人が来場した。「圧倒的な自然災害を前に、どうしたらいいのか、なにかやれることはないのか、まとまらない考えのまま音楽を聴きに来た人が多かったのではないでしょうか」 1週間後の香港公演も中止することなく行った。「日本は必ず復興すると伝えたいと思いました」。平井理事長は振り返る。 被災地訪問は乾電池を届けた二本松の後も続いた。行く先々で「必要ならどこへでも行きます」と伝えるうちに、「うちにも来てほしい」という要望が次々と寄せられた。ソロ、二重奏、四重奏、五重奏など臨機応変に編成した。避難所、仮設住宅、高齢者施設、学校などで演奏を繰り返した。 開催地は福島から、宮城、岩手へと広がった。原発事故被災地の集団避難先となった埼玉県加須市にも行った。日本フィルに寄せられる寄付金で交通費も賄えるようになった。
「2カ月分の涙が出ました」
「海にまつわる曲はやめてほしい」「帰れないふるさとを思い起こす曲は避けてもらえないだろうか」。日本フィルに届く声に応じ、被災した人々の心情に配慮して慎重に選曲した。 「2カ月分の涙が出ました」。5月に訪れた宮城県では、家族を失いながらもずっと泣かずにいたという被災者が涙した。 「原発事故で避難して違う学校に通う子どもたちのために、本来の学校の校歌を演奏してあげてほしい」。そんな教師たちの唐突な要求にも応じた。 「こもっている人に外に出てきてもらいたいんだ」。熱心にコンサートの案内をして回る仮設住宅の自治会長もいた。 しばらくすると、岩手県沿岸部を舞台にしたNHK連続テレビ小説「あまちゃん」のテーマ曲など海を連想させる曲も喜ばれるようになった。ピアノとバイオリンで大漁節を奏でれば、漁師から「そんなチャラチャラした感じじゃ船は動かん」と真剣な「指導」が入り、会場が一体となって盛り上がった。