「猫が生きていける町はいい町だ」:〈観察映画〉の探究者、想田和弘が『五香宮の猫』を作りながら発見したこと
松本 卓也(ニッポンドットコム)
『五香宮の猫』は岡山県牛窓(うしまど)にある神社を主な舞台に、そこに住みついた数十匹の猫と周辺に暮らす人々の日常を追ったドキュメンタリー。国内外で高い評価を受けてきた想田和弘が新参の住民となった海辺の町で、猫と人が共生する様子を静かに見つめた。ひたすら観察することで世界のありようはどう見えてくるのか、「観察映画」の名手に話を聞く。
想田和弘は、東京大学を卒業してニューヨークに渡り、名門スクール・オブ・ビジュアル・アーツで映画を学んだ。2007年より、台本がなく、説明を排した「観察映画」の手法を用いてドキュメンタリーを撮り、主に海外で高く評価されてきた映画作家だ。 4年ぶりの新作となる『五香宮の猫』も、日本での公開に先駆け、ベルリンをはじめとする国際映画祭で上映され、評判を呼んだ。2021年に27年暮らしてきたニューヨークを離れ、岡山県の牛窓に移住してからの第1作で、観察映画を撮り始めて以来10作目(2010年発表の“番外編”『Peace』を含めると11作目)となる記念すべき作品だ。
猫にカメラを向ける理由
牛窓は想田作品のプロデューサーを務める妻・柏木規与子の母の故郷であり、想田が過去に2本の作品を撮影した地。本作は牛窓港の近くにある五香宮(ごこうぐう)が主な舞台となる。この神社には数十匹の野良猫が住みつき、近年は猫を目当てにやってくる観光客もいるという。 丸々として毛艶のよい猫ばかりだ。観光客や住民がくれるエサのほかに、防波堤の釣り客から獲物のおすそ分けをもらうこともある。神社の境内は、雨風をしのぐ場所にも事欠かない。だがよく見ると、そのほとんどは片耳の先端がV字型にカットされている。これは避妊や去勢を済ませた目印。野良猫を捕獲し(Trap)、避妊去勢手術を施して(Neuter)から、元の場所に戻す(Return)ことで猫の生活を守る「TNR活動」によるものだ。 このTNRをきっかけに、想田は五香宮でカメラを回すことになる。妻の柏木が活動に参加しており、ある日「一斉捕獲」が行われると聞いて、カメラを持って現場に向かったのが本作の撮影の始まりだ。事前のリサーチはせず、ほぼ行き当たりばったりに撮影に入るのが観察映画の流儀なのだ。 「僕の場合、常に映画のテーマは後から発見されるものなんです。今回も映画になるかどうか分からないまま、とりあえず撮ってみようかなと思ってカメラを回し始めました」 元々、想田にとって猫は非常に近い存在だった。それは過去の作品の随所に猫が登場することからも分かる。子どもの頃から家には必ず「野良出身」の猫がいて、生活の風景にはごく自然に猫の姿があった。 「長い年月をかけて、僕なりの“猫観”が形成されてきました。猫は人が所有するものではないという考えです。猫には猫の人生、いや“猫生”(笑)があって、独立した存在なんです」 しかし人間が管理する社会では、猫が自由に“猫生”を謳歌(おうか)できる環境は限られている。想田には「野良猫が生きていける町はいい町だ」という持論がある。 「猫を受け入れる鷹揚(おうよう)さ、いい加減さがこの社会にあってほしい。いい加減は“良い加減”ですからね(笑)。そういう場所にはたぶん、社会から外れてしまった人も生きていける余地があると思うんです。そうでないと、例えば公園からホームレスの人を追い出すような、異分子を排除する方向に向かってしまう。それが人間の幸福につながるのか、僕は非常に疑問を感じています」