「おもてなし」と「複合化」 ── 日本の喫茶店文化の歴史をたどる
昨年11月に亡くなった映画スターの高倉健さん、菅原文太さんは、二人とも喫茶店でスカウトされ、映画界に入ったそうです。また、モントリオール映画祭で入賞し話題となった、吉永小百合主演の『ふしぎな岬の物語』は、南房総に実在する喫茶店がモデル。主人公は喫茶店のオーナーとの会話から、心癒されていました。それはカウンターとテーブルがあって、お店の人が注文をとり、飲み物を運ぶ、昭和のフルサービス型の喫茶店です。 コーヒー店、茶房(さぼう)、カフェ、ティールームなどとも称される喫茶店は、家でもなく職場(学校)でもない、「第三の場所」であり、「応接室代わりとなる場所」であり、「都会のオアシス」と言われてきました。癒しと気分転換の貴重な役割を果たしてきたのです。
日本の喫茶店のルーツは
この喫茶店は、いつ日本に出現したのでしょうか。「喫茶」という言葉が、お茶を飲むことを意味するように、日本の喫茶店のルーツを「茶店」とする考え方があります。茶店は室町時代後半に出現しました。江戸時代には寺社の門前茶屋や、街道の宿場の立場(たてば)茶屋が各地に作られ、出会い茶屋や寄り合い茶屋といった風俗営業的な茶屋もありました。 初の本格的な喫茶店は、明治21(1888)年4月13日に東京の上野黒門町にオープンした「可否茶館(かひちゃかん)」とされています。フランス語のカフェをもじって、可否と命名したもので、二階建ての広い洋館の1階は玉突き場(ビリヤード場)、2階の喫茶店ではカヒー(珈琲)、紅茶、菓子などが出されました。社交場(サロン)を意識したハイカラな喫茶店でした。 明治23(1890)年には浅草公園に「ダイヤモンド珈琲店」、明治26(1893)年には麻布に「風月堂喫茶室」、明治44(1911)年には銀座に「カフェーパウリスタ」などの喫茶店が生まれました。ポルトガル語の「カフェー」にちなんだカフェーパウリスタは、「ブラジルコーヒーが飲める、日本初の本格的珈琲店」と言われています。 大正時代の関東大震災以後に、モダンなサロンの役割を果たす喫茶店が各地の大都市に作られました。昭和初期には社交の場としての「社交喫茶」(特殊喫茶、新興喫茶)が出現。美しいウエイトレスがいて、クラシック音楽やジャズを楽しむことができました。しかしそれは夜、女性に接待されてお酒を飲む場所へと変貌していきます。一方、サラリーマンのくつろぎの場である「純喫茶」が人気を集めるようになりました。これが私たちが普通にイメージする喫茶店です。