紫式部は美人だったのか? ブスだったのか?
紫式部(むらさきしきぶ)が書いたとされている『源氏物語』だが、この物語に登場する女性たちは、よくいわれているように美人ぞろいだったのだろうか? その実態に迫る。 『源氏物語』第6帖などに末摘花(すえつむはな)の姫という女性が登場する。ある皇族の1人娘として生まれながらも、父親を早くに亡くして生活に困っている女性の話を聞いた光源氏(ひかるげんじ)は、美しい深窓の令嬢を思い描き、彼女の屋敷に忍んで行った。屋敷にいたのは、髪はきれいなものの、座高が高くて痩せていて顔は青白い上に曲がった鼻先は赤く、高価な香を焚きこんではいるが他では見ないような個性的なファッションに身を包んでいる女性だった。 これが、平安時代の美人なのかというとそうではない。小柄でぽっちゃりとしていて長い髪は背丈ほどもある。そんなに長い髪でも欠かさずにすいてつやつやと輝き、毛先も切り揃えている。手がきれいなこともポイントが高く、かぐわしい香を焚きこんだ洗練された衣装に身を包み、歌の才能にあふれた女性が理想とされていた。 当時の服はゆったりとしており、爆乳でも貧乳でも服の上からはわからないためスタイルは重視されない。目は切れ長で大きくない方がよく、ややかぎ鼻のしもぶくれ気味の丸顔が好ましいとされていたが、顔は家族以外の男性に見せてはいけないことになっていた。 また、成人した女性は身だしなみとして眉を抜いて、歯は鉄漿(かね)というもので染めなければならない。これをしないと『堤中納言物語』に収められている「虫めづる姫」のように変人扱いされてしまい、「あの人の眉、毛虫みたいで気持ち悪い」などと後ろ指を指されるのだ。 ちなみに当時、剃刀は一般的ではなく、一本一本毛抜きを使って眉を抜いたというから、眉を抜きたくない姫の気持ちもわからなくはない。顔の毛を抜くのはとても痛い。痛い思いをして眉を抜いたのち、おしろいで白くした顔の上に墨で眉を書き、唇や頬を紅で赤くするのが当時の化粧であった。 男性は、直接会えないのにどうやって女性に恋するのだろうか。女性の後ろ姿や移動の時に牛車からはみ出た衣装の一部、その衣装に焚き込められた香のかおりなどで、あの人はきっと美しいのだろうと思いを寄せる。 あるいは、どこそこに美しい姫がいるといううわさを聞いてその人に歌を送る。そして返事としてもらった歌が素晴らしいとその歌を詠んだ女性はいよいよ素敵な女性だということになり、男性はその女性を訪ねて行って……。思い描いていた可憐な深窓の令嬢とはまったく違う末摘花の姫に出会った光源氏のようなこともあったに違いない。 ちなみに男性が女性の顔を見ることができるのは一夜を過ごした後のこと。しかも、夜が明けきらない内に女性の家を辞するのがマナーとされていたから、果たして男性は、一緒に暮らすようになる前に女性の顔をまともに見ることができるかどうかわからない。 実は、源氏物語の中で、この末摘花の姫の容姿だけが、モデルがいたのではないかと思わせるほど細部にわたって克明に活写されているのだ。そのため紫式部は自分のことをこの姫に反映したのではないかとする人もいる。もしかしたら紫式部は日頃よく思っていない人のことを誇張して描いたのかもしれない。
加唐 亜紀