【光る君へ】伊周は甘やかされすぎた? 「自分勝手なふるまい」は史実でも
NHK大河ドラマ「光る君へ」では、花山院(本郷奏多)を矢で射ってしまう「やらかし」が描かれた藤原伊周(三浦翔平)と隆家(竜星涼)の兄弟。あまりの軽率さに呆れた視聴者も多いだろう。史実においても、太宰府左遷を逃れようとごたくを並べたり、仮病で出立を拒んだりと、自分勝手な振る舞いが目立っていた。どういうことか、見ていこう。 ■甘やかされた男の往生際の悪さ 藤原伊周にまつわる逸話としてよく知られるのが、叔父である道長との仗座における口論や、花山院を矢で射ってしまうという騒動(長徳の変)である。結果として大宰府へ左遷されたことも、この御仁を語る上で欠かすことのできない逸話であった。 そして、とくに筆者が気になるのは、彼の「未熟さ」である。その表れの一つが、前後の見境もなく、騒動を巻き起こし続けた結果として大宰府への左遷を命じられたにもかかわらず、あれこれごたくを並べて逃れようとした往生際の悪さであった。 まず、病と称して出立を拒み、挙句、行方不明に。その理由を父の墓参りのためと弁明。それだけならまだしも、出家したから(実は剃髪すらしていなかった)罪も許されると宣ったり、何かにつけ自分勝手な論を展開するなど、見苦しい動向が目立ったのである。 それでも、周囲に促されてようやく出立したと思いきや、今度は母・貴子が息子・伊周可愛さあまり、取りすがって離れようとしない。ひとまず近場の播磨国へと配所を変えてもらったが、それに乗じて、数ヶ月後には、伊周が病む母を慮って密かに配所を脱出する始末。妹である中宮・定子の元に匿われるなど、この期に及んでまだ周りからことごとく甘やかされ続けたのだ。 その上、道長からも罪を許されて復位することができたというから、どこまで甘え放題の人生だったのか、ため息をつきたくなることばかりであった。彼を取り巻く大勢の人々の甘やかしはいうまでもなく、こんな御仁に政権を委ねた父・道隆の罪も、決して軽いとは思えないのだ。
藤井勝彦