「私の医師人生を大きく変えた出来事…」人類が初めて市街地で経験した化学テロ…8人死亡600人が重軽症、未知の薬物と対峙した医師たちが「いま伝えたいこと」~松本サリン事件から30年~
報道陣: 「事情聴取受けた男性の状態は?」 鈴木医師(当時): 「入院した時からまだ痙攣が続いていまして、発熱もあり、長時間話ができる状態ではありません」 病院前に詰めかけた報道陣の質問に答える、鈴木医師。 その様子が報道されると、世間の反応は想像を超えるものでした。 鈴木順医師: 「なぜ『犯人』を治療するのかとか、早く警察に出頭させろとかいうのが、もう診療の邪魔になるくらいかかってきまして」 いわれのないバッシングは、翌年、オウム真理教の信者による犯行が明らかになるまで続きました。 ただ、批判的な声に惑わされることはなかったと鈴木医師は振り返ります。 鈴木順医師: 「初めからあまり河野さんが犯人だとは到底思えなかったんですね。彼が取り乱さなかったことを端でも見ていたので、だから逆になんていうか、患者さんとしては、ぜひとも救いたいというか治したいというか」 「河野さん、河野さん」 河野さんの妻で事件の被害者である澄子(すみこ)さんの主治医としても診療を続けた、鈴木医師。 事件から14年後の2008年、その最期を看取りました。 鈴木順医師: 「河野澄子さんが亡くなられたときに、肩の荷が下りたのはよく覚えていて、それが私自身のサリン事件の終わりではあったんですけれど、そのとき起こったようないわゆるその冤罪未遂事件ですか。まだ何もはっきりと決まってない段階で、ヒステリーみたいな感じでね、バッシングをするというのはこの30年間あまり変わっていない」 実際に、新型コロナの流行ではSNSなどで感染者や医療従事者への誹謗中傷が起きました。 鈴木順医師: 「感情のままに発信する。ただそれでは駄目だということを強く思いますし、教訓化して、次の人に伝えるべきことはまだ残ってるんだと思っています」 一方で、経験が生かされた出来事もあったと鈴木医師は話します。 鈴木順医師: 「おそらくこの松本地域でそういった(医療機関同士が)協力する体制ができたのは(松本サリン事件が)初めてだと思うんですね。それは本当に歴史的には大きな成果があって、コロナの感染のときに“松本モデル”というふうに言われて紹介されましたけど、医療機関で本当に連携できたなというふうに思います」 松本サリン事件に直面した医師たち。 それぞれの立場で事件と向き合い、未来のために歩み続けています。
信越放送
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