「私の医師人生を大きく変えた出来事…」人類が初めて市街地で経験した化学テロ…8人死亡600人が重軽症、未知の薬物と対峙した医師たちが「いま伝えたいこと」~松本サリン事件から30年~
20年にわたって大学で、医学を志す学生にサリン中毒の症状や化学テロの脅威について、伝え続けてきました。 中でも強く訴えてきたのは、「知識は凶器にもなる」ということ。 オウム真理教による一連の事件には、医師も関わっていたからです。 奥寺敬医師: 「あれはどういう事件だったかってことですね。(オウム内で)医者が手を貸した事件でもあるし、しかも危険物質を使ってるわけですよね。医学知識がなきゃ使えないわけですよ」 事件のあと、精神的なつらさも強く感じてきたという奥寺医師。 しかし次第に、ある思いが芽生えてきたといいます。 奥寺敬医師: 「(事件の)後に生まれた人たちばっかりになってから、これはやっぱり話さなきゃいかんなというのは思いましたね。知識の伝承が必要だろうと、あと経験の伝承ね」 そして、現在。 岐阜県の病院で日々、患者と向き合う傍ら、若い研修医の指導に力を注いでいます。 奥寺敬医師: 「血圧とかね、呼吸の数とか、未知の現象が来たところでやることは一緒なんで、そこをきちっとみようよって話をここでの研修医にもしてます。やはりそういう経験した人間がそのことを教えないとですね、下に繋がらない。自分の本分だと思っています」 事件の被害者の1人で第一通報者だった河野義行(こうの・よしゆき)さん。 事件後、河野さん宅の家宅捜索が行われると、報道が過熱。 その中で、図らずも渦中に巻き込まれることになった医師がいました。 鈴木順(すずき・じゅん)医師: 「私の医師人生を大きく変えた出来事でもあったと思います」 松本協立病院の、鈴木順医師。 当時27歳、医師3年目の研修医でした。 鈴木順医師: 「緊急で医局会議が開かれて、17名(翌日もう1人)入院したと。担当割るからって言われて、研修医3人でそれぞれ分担したんですね。それが始まりでした」 たまたま受け持った患者、その中に河野義行さんがいました。 ほどなくして、警察による河野さんへの事情聴取が始まります。 事件発生から2日後。
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