【社説】初代門司駅遺構 専門家と市民の声大切に
古墳や神社仏閣、書画と違い、都市や国の発展を担い、役割を終えて地中に埋まった遺構は歴史的価値を実感しづらい。 北九州市門司区で出土した明治期の初代門司駅関連遺構と、その場所で市が進める公共施設の整備は、さまざまな課題を提起している。 1891年に開業した初代門司駅は、本州や大陸につながる九州の玄関口だった。発掘調査で、機関車庫の基礎と赤れんがの壁、駅本体の外郭石垣などが見つかった。 市は2027年度完成を目指し、門司区役所や図書館、ホールを集めた複合公共施設を造る計画を進める。現在の区役所は老朽化が著しい。市民の利便性を高める目的は理解できる。 遺構は全面的に取り壊す方針だったが、武内和久市長は先月、一部を現地で保存する考えを表明した。別の場所にも部分的に移築する。 方針転換を促したのは、専門家を中心に国内外に広がった遺構の保存要望だ。 明治期の高い技術力、近代化の過程を示す「国史跡級」と評価が高まり、国際記念物遺跡会議(イコモス)は市に保存などを求める「ヘリテージ・アラート」を出した。 市にとって想定外の反響の大きさだったろう。一部であっても保存、展示にかじを切ったことは歓迎したい。 ここに至る市の対応には問題がある。保存を求める専門家や市民の意見を十分に聞かず、学術的な評価を避けていたからだ。 遺構の解体は市の文化財保護審議会に諮らずに決めた。副市長は今年2月、市議会で「立ち止まって調査することは価値付けにつながり、文化財指定につながる最初の一歩となる」と発言した。 調査をして遺構の保存や整備が必要になると、複合公共施設の着工が遅れかねない。そうした市の本音がうかがえる。市議会でも議論が尽くされたとは言い難い。 歴史資産の保存と開発は、これまでも各地で議論になった。大切なのは結論を出す過程である。 開発と鉄道遺構保存を両立させた先例が東京にある。JR東日本が高輪ゲートウェイ駅付近で進める再開発で発見された高輪築堤(ちくてい)だ。 1872年に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開通する際、東京湾の浅瀬に線路を敷くために造られた。 約800メートルの遺構が確認され、石積みの堤を船が横切るための橋梁(きょうりょう)部を含む120メートルが国史跡に指定された。JR東日本は有識者や行政を交えた委員会で検討を重ね、現地保存と公開を決めた。 北九州市は今後、初代門司駅関連遺構を一部保存するまでの経緯を検証すべきではないか。 日本イコモス国内委員会は保存の在り方について要望を続けている。専門家や市民の意見に耳を傾ける姿勢が欠かせない。
西日本新聞