「ジェイミーはエディーに負けたくなかったと思う」田中史朗が語る“南アフリカ撃破”の記憶…フミさんが提案した革命前のジグソーパズル
2023-24シーズン限りで引退した元ラグビー日本代表・田中史朗(39歳)。小さな身体で世界と渡り合ってきたスクラムハーフに、改めて17年間の現役生活を振り返ってもらった。インタビュー全2回の後編では、W杯の思い出や後輩たちに託す想いを明かしている。人間国宝の落語家とのエピソードも必読。《前編も公開中》 【画像】「めちゃ若い…でも今と全然変わらない!」23年前のフミさん(伏見工業)から髪の毛フサフサ新人時代の貴重写真…「オールブラックスのハカの前でなぜか相撲ポーズをとるフミさん」「大男に飛び掛かる“仰天タックル”」も見る(70枚超) 2015年のワールドカップ(W杯)が近づくにつれ、ラグビー業界内部の日本代表に対する見方も変わり始めた。田中史朗が振り返る。 「2011年だと、W杯に向けた合宿に出発するにも、クラブのチームメイトから『たいへんだね』という声がかかっていたんですよ。それほどリスペクトされてなかったというか。それがだんだん変わっていきました。 エディーは妥協しない人で、本当に厳しかったです。練習中、『そんなプレーしかできないなら、荷物まとめてもう帰れ! 』とか、そんな激しい言葉をかけられることも珍しくなかったです。そう言われても日本人は帰りませんけど、外国人だとほんまに宿舎に帰るんですよ(笑)。でも、お互いひきずらないんです。日本と海外のカルチャーの違いを感じました」
固い結びつきが生んだ大金星
そして2015年にはW杯の大舞台で南アフリカを破る大金星を挙げる。 「あそこまでチーム力を伸ばせたのは、人と人とのつながりが濃くなったからだったと思います。あり得ないほどの長期合宿を一緒に過ごして、みんなでたくさん話もして、たくさんお酒も飲みました。エディーは食事の席でも必ず日本人と海外出身の選手たちが一緒の席になるように気を配っていて、どちらかが固まりそうになると、リーチ(マイケル)とかトシさん(廣瀬俊朗)がサッとそのテーブルに入ってました」 仲間とのコミュニケーションの濃さは、現在にもつながっている。 「2011年のメンバーは、今ではあまり連絡を取らなくなってしまいました。僕はスタンドオフを務めていた(ジェームス・)アレジに『誕生日おめでとう』とかメッセージを送ったりしてますが。2015年のメンバーとは、頻繁に連絡を取り合いますね。スタッフや現役を引退した選手たちは南アフリカに勝った日に集まって飲んだりしてますし、本当に家族みたいな感じになったんです」 試合に向けてチームの気持ちをまとめるために、田中もアイデアを出した。 「ハイランダーズでメンバーに鍵を配った話をしましたが、そのアイデアを応用して、日本代表ではジグソーパズルを作ってもらい、その一つひとつのピースをメンバーに配るというアイデアを出しました。試合前、準備が整ったと思ったら、自分のピースを置いていく。南アフリカ戦の前、全員の準備が整って、きれいにパズルが完成してました」 日本のラグビーの歴史が変わったターニングポイントだった。
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