「誰もが勝てると思った」バレー男子イタリア戦…エース石川祐希復活もコーチ陣が語る“遠かった最後の1点”「1、2セットはうまくいきすぎた」
金メダルを目指してパリ五輪に挑んだ男子バレーボール日本代表。予選ラウンドは苦戦するも見事に甦り、準々決勝では強豪イタリア相手に2セット連取、勝利目前まで迫ったが――。最後の1点を取り切れなかった理由をチームスタッフの証言から解き明かす。 発売中のNumber臨時増刊号「パリ五輪 熱狂の記憶」に掲載の[果てしなき頂点への道]バレーボール男子「1点の重みを糧にして」より内容を一部抜粋してお届けします。 【貴重写真】「めちゃ若い…」7年前、来日したブランの話を聞くマジメな石川祐希…「涙が止まらない高橋藍」「ブランの前で子供のように泣く西田」「静かに目を潤ませる宮浦」「健太郎は藤井さんと一緒に…」テレビでは映らなかった男子バレー“涙の円陣”を見る(100枚超) 数字は残酷だ。 バレーボール男子日本代表のパリ五輪の最終成績は、東京五輪と同じ“7位”。 しかし、その意味合いは大きく異なると、準々決勝イタリア戦を観た人ならば誰もが感じるだろう。 もちろん、低迷していた日本男子バレーが東京五輪で29年ぶりの決勝トーナメント進出を果たしたことは快挙だった。だが準々決勝ではブラジルから1セットも奪えずに敗戦。あの頃のチームは世界へ羽ばたくための、まだ助走段階だった。
石川祐希が不調も、なんとか乗り切った予選ラウンド
そこから3年間で日本は飛躍した。昨年のネーションズリーグ(VNL)で、主要な世界大会では46年ぶりのメダルとなる銅メダルを獲得。今年の同大会では決勝に進出し、銀メダルを手にした。世界ランキングは2位にまで上昇。金メダル獲得を目標に掲げ、パリに乗り込んだ。 だが、予選ラウンドは苦戦した。目標を高く掲げるほど、予選で負けるわけにはいかないという重圧がのしかかる。しかも東京五輪までは予選ラウンドが5試合だったが、今回は3試合。1戦の重みが増した。 大黒柱の石川祐希が苦しんでいた。初戦のドイツ戦ではチームトップの22得点を挙げたが、2戦目のアルゼンチン戦はどこか乗っていけない。表情は不安げに見えた。 アルゼンチン戦で日本は今大会初勝利を挙げたが、石川はチーム4番目の11得点。3戦目のアメリカ戦は2セットを失った後、石川に代わって入った大塚達宣の活躍で1セットを取り、8位で辛くも決勝トーナメントに駒を進めた。 試合後のインタビューで石川は、「非常にプレーが悪かったので、託してもらえるところでまったく託してもらえなかった」と自身へのもどかしさを吐露した。 セッターの関田誠大も悩んだはずだ。他の大会なら、石川の打数を増やして復調させることも試みたかもしれない。だがドイツに敗れ、あとがない状態。関田は好調の西田有志や、3年間強化してきたミドルブロッカーとのコンビを軸に予選ラウンドを乗り切った。
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