羽生結弦さん きょう30歳バースデー舞 ツアー「Echoes of Life」 カウントダウン最終回
プロスケーターの羽生結弦さんが7日、30歳の誕生日を迎えた。同日に羽生さんが出演・制作総指揮を務めるアイスストーリー第3弾「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR」がさいたまスーパーアリーナで開幕する。カウントダウン連載の最終回で、担当の高木恵記者が取材メモから羽生さんの「30歳の向こう側」をひもといた。 羽生が優勝した2010年世界ジュニア開幕前のインタビューが、スポーツ報知の東北版に残っている。 「今回の世界ジュニアの結果が、4年後のソチ(でのメダル獲得)を計る上でも大事だと思っています。絶対に金メダルを取りたい。荒川(静香)さんのようにこの(仙台の)リンクからオリンピックに出て優勝したいんです。最終的にはプロを目指しています。そのためにも最高の結果を出してからプロになりたい。将来的にはプロになって、いままで支えてくれた人に恩返ししたいんです」 15歳で描いた未来予想図。努力と、気持ちと、献身と。その通りの人生を、羽生結弦は歩んできた。被災地へ足を運び、人々を笑顔にした。復興支援を目的としたアイスショーを開催し、スケートで希望の光を照らした。 競技者時代から変わらない全力投球。それは何も「滑る」ことだけじゃない。撮影もそう、インタビューもそう。指導もそうだ。 9月の能登半島復興支援チャリティー演技会会場での地元スケーターへのレッスン会は、当初の予定の30分を大幅にオーバーする50分にも及んだ。数日前から自分の練習よりも、スケート教室用の練習を優先。何をしたら子供たちのためになるのか、どんな動きがいいか、常設リンクじゃないから陸の上でもできる動きを。スケーティング向上のためのメニューを、自ら考案し、実践して伝えた。 7月のプロ転向2年を迎える直前のインタビューで、改めて明かした。「18歳とか16歳とか、それぐらいに思い描いていた30歳って、正直多分スケートをやっていないんじゃないかなと思っていた」。18年平昌五輪後にプロ転向し、5年ほど活動してスケート靴を脱ぐつもりでいた。今も羽生は滑っている。驚くほどに、進化を続けながら。 「思い描いていたものとは全然、体力のつき方も技術のつき方も全然違う。ああこんなにもまだまだやれるんだなっていう実感と、未来に向けての可能性をすごく感じている」と続けた。 プロになり、「責任」という言葉を用いることが増えた。これからも全力で、自分を超えていくのだろう。今まで歩んできたすべての道のりは、30歳の向こう側に、正しく美しくつながっていく。(高木 恵)=敬称略、おわり= ◆「Yuzuru Hanyu ICE STORY 3rd “Echoes of Life” TOUR」 ▽埼玉公演(さいたまスーパーアリーナ)7、9、11日 ▽広島公演(広島グリーンアリーナ)2025年1月3、5日 ▽千葉公演(ららアリーナ東京ベイ)2月7、9日
報知新聞社