『幸福の黄色いハンカチ』原作者・ピート・ハミルの晩年の願いとは。夫の最期を見届けた妻の思い「何を見ても彼を思い出す日々が続いた」
映画「幸福(しあわせ)の黄色いハンカチ」(1977年)の原作者として知られる、米国著名作家でジャーナリストのピート・ハミルさん。2020年8月5日に85年の生涯を終えてから、今年で4年が経過します。ピートさんの妻で作家として活躍する青木冨貴子さんは、最愛の夫との大切な記憶を、手記『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』に書き留めました。「ふたたび一人」で生きていく青木さんが、心の筆で綴ったエピソードの一部をお届けします。 【書影】一足先に旅立ってしまった彼の記憶を抱きしめながら、心の筆で書き留めたエッセイ『アローン・アゲイン:最愛の夫ピート・ハミルをなくして』 * * * * * * * ◆何を見てもあなたを思い出す 2020年8月に夫がいなくなってから2年を過ぎる頃まで、何を見ても彼を思い出す日々が続いた。 スーパーマーケットで緑のぶどうを見れば、それを毎日食べていた姿が目に浮かんだし、ダイエット・ペプシのボトルを見れば、仕事机の上にいつも置かれていた氷いっぱいの大きなグラスを思った。 わたしはそういう“もの”を見ないように試みたが、思いがけず目に入ることもある。 まして場所とか建物などは避けきれるものではない。そのなかでもいちばん困るのがブルックリン・ブリッジだった。 わたしたちが暮らしたブルックリンとマンハッタンを結ぶ橋で、イーストリバーの上にかかっている。夫はこの橋が大好きだった。 「この橋はいちばん古くていちばんきれいなんだ!」 ひとりで渡るようになっても、嬉しそうな彼の声が聞こえてくるようだ。 この橋はアメリカでもっとも古い吊り橋の一つだし、鋼鉄のワイヤーを使った世界初の橋なんだよ――。
◆最後の4年間を、生まれ故郷・ブルックリンで過ごす 夫の最後の4年間をわたしたちは彼の生まれ故郷ブルックリンで暮らした。 それまではマンハッタンの先端に近いトライベッカのロフトに20年近く住んでいた。 アメリカでは、倉庫や工場をリノベーションした住宅をロフトと呼んでいる。天井が高く、内部を好きにデザインできるので、彼の2万冊近い蔵書を入れる本棚を並べられたし、ふたりの仕事部屋のスペースもとれた。 夫は大病した後でブルックリンに住みたいと言い出した。 「ゴーイング・ホーム」。誰しも最後には故郷に帰りたいと願う本能があるのかもしれない。 実はそれまでにも時々、そんな言葉を発していたのだが、わたしは知らん顔していた。あまりに荷物が多すぎて、引っ越しなど考えただけでもうんざり。 とはいえ、長い入院生活から車椅子でようやく帰ってきた彼の、か細くなった声で真剣に訴える願いには、ついに「ノー」といえなくなった。 ブルックリンはすっかり人気のエリアになったので家賃も上がり、なかなか住めるようなアパートはなかった。 初めの2年は「Coop」と呼ばれる共同所有の大きなアパートにいたが気に入らず、それでも根気よく物件を探すうちに、19世紀に建てられた褐色砂岩(ブラウンストーン)5階建の一、二階デュープレックス(階段でつながっているタイプの物件)が見つかった。 「庭のある家で本を読んで過ごしたい」というのが夫の願いだった。