小倉智昭さん死去 テレビを音楽をスポーツを愛し、幅広いファンに愛され続けた
小倉智昭さんは音楽への造詣も深く、クラシックからポップスまで幅広いジャンルを聴き、オーディオにもこだわりを持っていた。知識の引き出しをつくるために1日3枚のCDを聴くことが日課で、「とくダネ!」で紹介した作品はその後のCD売り上げに影響が出たほど。「責任があったから2日前から勉強した」と語っていたが、レコード会社関係者は「CDが売れたのは、知識の正確さと信ぴょう性があったからこそ」と話した。 【写真】64年、東京五輪の聖火ランナーの副走者を務めた当時の小倉智昭さん(後列中央) 自身も大学生の時にバンドを結成、ボーカルとベースを担当した。テレビ東京入社までにバンド活動だけで100万円以上を稼いでいた。 ≪64年&21年2度東京五輪で聖火ランナー「勝利呼ぶ男」≫学生時代は陸上部で、大のスポーツ好きだった小倉さん。高校時代には100メートル走10秒9を記録し、浪人中には国体にも出場。大のゴルフ好きとしても知られた。五輪との縁も深く、1964年、2021年と2度の東京五輪で聖火リレーの走者を務めた。キャスターとしても五輪取材をライフワークとしていた。2000年のシドニー五輪から21年の東京五輪まで夏冬合わせて計9大会を現地で取材。04年アテネ五輪で日本は16個の金メダルを獲得したが、小倉さんは選手たちが金メダルを決めた場面を全て生で目撃。「勝利を呼ぶ男」と呼ばれた。 ≪84年から大の西武ファン 西口氏引退で花束贈呈も≫プロ野球・西武の大ファンとしても知られた。フリー転身後の1984年、西武戦中継を行っていた文化放送で番組を持ったことがきっかけ。毎年のようにシーズンシートを購入しており、翌日に「とくダネ!」のない金曜や土日の試合を観戦。平日はテレビ中継で全試合チェックするほど熱烈に応援していた。選手との交流もあり、来期から監督に就任する西口文也氏(52)の引退セレモニーでは花束を贈呈。今年9月の金子侑司氏(34)の引退試合では、架空の日本シリーズ実況を入れたビデオレターを送るなど愛にあふれていた。