【アイスホッケー】「いつも、自分を信じること」。伊藤崇之(東北フリーブレイズ)と古川駿(横浜グリッツ)の才能。(前編)
トップリーグで初めて「脚光」を浴びた伊藤。
2月上旬、ハンガリーで行われたオリンピックの3次予選。日本は3戦ともに逆転で3連勝、この8月に始まる「最終予選」への進出を決めた。 青森県八戸市の東北フリーブレイズ選手寮では、27歳のGK・伊藤崇之も、インターネットで中継を見ていた。なかでも再三に渡って日本のピンチを救ったゴーリー・成澤優太(レッドイーグルス北海道)に、どうしても目が行ったという。 「あらためて、ゴーリーのプレーで試合が左右される責任の重さを感じました。 夏に最終予選がありますが、ハンガリー戦のような耐える試合が増えて、ゴーリーの仕事もより大変になるんだろうな、と。 外国人のリーチの長さ、パススピード、シュートのスピード…。ゴーリーだけでもこれに対応していかなければ、勝つことは難しくなってくるのかもしれません」 フリーブレイズ2年目の今季、伊藤はスタメンでゴールを守ることが増えてきた。ルーキーの2022-2023シーズン、出場したのは2試合のみ。1年前は、開幕当初こそスターターとして試合に出ていたものの、ベテランの畑享和と橋本三千雄の体調が戻ってくると、以降はサブに甘んじていた。 伊藤は水戸啓明高校、さらに法政大学でも、日の丸をつけた経験がない。さらにいうと、学生時代はポジションをつかんだ経験はなかったように思える。アジアリーグに入ったことで、ようやく「伊藤崇之」という名前を知ったという人は、案外、多いのではないだろうか。
父ができなかったことを僕はやりたかった。
「僕は大学1年の頃から、アジアリーグでプレーしたいと思っていたんですよ」 2018-2019シーズン、法政大学4年目を迎えた伊藤は、就職活動をまったくしていなかった。 理由は2つ、ある。 「法政を卒業したら、海外に出てプレーしようと決めていたんです。大学1年目で試合に使ってもらえて、でも2、3年の時には、いい成績を残せなかった。4年生の時はラストチャンスだと思ってやったんですが、結局、試合に出たり、出なかったりで…。アジアリーグから声がかからなかったので、とりあえず別の道を選んだんです」 高校のOB(当時の校名は水戸短大附)でエストニアでのプレー経験のあるGK鈴木翔也さんの助言で、海外のインターネット「エリート・プロスペクト」にスタッツを載せてみたり、自分のプレーの「プロモーションビデオ」をつくったこともあった。それでも、興味を持ってくれるチームはなかなか現れなかった。 伊藤は、しかし海外でプレーすることをあきらめなかった。 「水戸でも法政でも、何か結果を残したかといったら何も残せていないんです。大会で表彰選手になったことも、一度もなかった。こんなに必死にやってきたのに何も残らないとしたら、自分でも悔いが残るし、応援してくれた親にも申し訳ない。よし、結果を残すまでやってみよう――そう思いました」 大きな理由は、もう1つあった。長野の実家は、有名な善光寺。伊藤はどこかのタイミングで、僧侶を継がなくてはいけなかった。 「継ぐのは30歳半ばでいいと父に言われました。それまでは自分の好きなことをしてこい、と。父は小学生の時に(伊藤の)祖父を亡くしているんです。だから大学を卒業したら、すぐに後を継がなくてはならなかった。もともと父もアイスホッケーが好きで、でも、そういう理由があって断念せざるを得なかったんです。父がやりたくてもできなかったことを、僕はやりたかった」 結局、伊藤のチームはフィンランドの3部リーグに決まった。 傍目には「大学を卒業して、晴れて海外でプレーする若者」に見えたかもしれないが、実際は「ことあるたびに周りの評価の低さを感じていました」と伊藤はいう。それは当時の彼の、正直な気持ちだっただろう。
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