神戸ブランド失墜? 地下鉄海岸線なぜ20年以上も赤字? 累積欠損854億円! 甘い需要予測の裏にあった「根拠のない自信」
実際の乗車人員は事前予測の半分以下
工事が始まったのは1994(平成6)年で、阪神・淡路大震災の前年に当たる。市は需要予測を開業年となる2001年度で1日平均8万人、2005年度で13万人と強気に打ち出したが、もくろみは大きく外れた。 実際の1日平均乗車人員は2001年度で約3万4000人(予測の43%)、2005年度で約3万9000人(同30%)と低空飛行を続ける。市は震災で大被害を受けた新長田駅周辺を再開発する一方、中学生以下の運賃を無料にして利用促進に力を入れてきた。2011年には兵庫区を走り、海岸線と競合するJR和田岬線の廃止をJR西日本に要望している。 しかし、1日平均乗車人員は5万人台に到達するのがやっと。思うような結果を出せないまま、コロナ禍でまた乗客が激減した。市交通局は2020~2023年度の4年間で129億円の影響が出たと見ている。しかも、コロナ禍が一段落したのに、コロナ禍前の乗客数に戻らない。 市が策定した2021年度から5年間の市営交通事業経営計画では、沿線の人口減少にともなって緩やかな乗客の減少を想定している。市交通局は 「ライフスタイルの変化などで乗客数がコロナ禍前に戻らないことを前提に経費削減などを進めるしかない」 と述べた。
震災で沿線人口が大幅に減少
海岸線がここまで追い込まれた背景には、 「震災による人口減少」 の影響が大きい。市全体が政令指定都市でトップクラスの人口減少に苦しめられるなか、特に深刻なのが郊外のニュータウンとともに、海岸線沿線などの下町。長田区は1985(昭和60)年の人口約15万人が2024年9月現在で約9万人に。兵庫区は約13万人が約11万人に落ち込んでいる。 沿線を支えてきた造船業の地盤沈下も深刻だ。三菱重工神戸造船所は2012(平成24)年で商船建造から撤退し、防衛省発注の潜水艦や航空、原発関連機器などを基軸にしたが、多くの協力会社従業員が和田岬を離れている。 三宮・花時計前駅がJRや私鉄、ポートライナーの駅が密集する三宮地区の中心部から約350m離れ、微妙に使いにくいことや、神戸ハーバーランドが一時、利用の低迷で大型店撤退が相次いだことも響いたと見られる。だが、最大の原因が 「甘い需要予測」 にあることは否定できない。2013年に就任した久元喜造市長は記者会見などで度々、海岸線を失敗と断じてきた。3月に開いた高校生との対話集会では廃止を検討したことがあることを告白し、市の需要予測に対し 「どれだけ鉛筆をなめたのか」 と需要の水増しを示唆して首をかしげる一幕があった。 しかし、海岸線を廃止すれば三菱重工神戸造船所など和田岬駅近くで働く従業員の通勤に影響が出るほか、バスに切り替えるとしても運行本数が膨大になるとして、簡単に廃止できない苦しい胸の内も打ち明けている。 震災前の関西で神戸の街は、若者のあこがれだった。海岸線の工事に着手したころは既にバブル経済がはじけていたが、市OBは 「すぐに景気が回復し、神戸を目指して多くの若者がやってくるという根拠のない自信や楽観論があった」 と説明した。甘い需要予測の背景には“神戸ブランド”への過信が見え隠れする。
高田泰(フリージャーナリスト)