「兄弟全員が親戚に預けられ」家族の思い出がほぼないガレッジセール・ゴリ「子ども時代を取り戻したいのかも」
■月1回は兄弟3人で集合「子ども時代を取り戻したいのかも」 ── 実家のご家族について教えてください。印象的な子どものころの思い出はありますか?
ゴリさん:僕は3人兄弟の末っ子なんですけど、僕が6歳のころから、兄弟全員が親戚に預けられて育ったんです。だから、あまり家族の思い出がないんですよね。僕と次男とで家の近所の公園で遊んでいたことは覚えているんですけど、その当時、長男は全寮制の中学に行っていたので、3人で遊んだ記憶が少なくて。 子どものころの家族の思い出がほとんどないぶん、大人になってから会うようになりました。特に長男と次男が沖縄で暮らすようになってからは、月1回、兄弟3人で集まるのがすっかり定着して。僕がレギュラー番組の仕事で沖縄に行くタイミングに合わせて、次男が中心になって準備してくれて、みんなでご飯を食べています。ただ、なにせ今まで一緒に過ごした時間が短いので、会話がぎこちなかったりするんですけどね(笑)。
今年のお盆も、みんなで鍋をつつきました。両親の仏壇がある長男の家に集まって、あの世から帰ってくる両親を迎えました。3日間、長男の家で食事をした後、3日目の夜に両親をあの世に送り返すという沖縄の風習にならって見送りました。
■10年間入退院を繰り返した母親の死への後悔 ── 本名である照屋年之の名義で、映画監督としてもご活躍です。長編映画『洗骨』、来春公開の新作『かなさんどー』ともに、家族の死と生を描いた作品ですが、ゴリさんが死生観を意識したきっかけはありますか?
ゴリさん:やっぱり、母親の死ですかね。母親は闘病生活が長くて、10年くらい入退院を繰り返していたんです。沖縄の病院にお見舞いに行って、「おっかあ、元気?どんなね?」って声をかけるんですけど、いつも「まだ死なない」と思っているから、30分もしないうちに「また来るね」って東京の生活に戻る、というような感じで。 もちろん、「この日に死にますよ」って先にわかっていれば、もっと会話しようとしたり、母の話をゆっくり聞いてあげようとしたと思います。でも、いつも「まだ元気だから大丈夫」って思ってしまっていた。母が亡くなった後は、そのことへの後悔をずっと引きずっていました。「1日中、病院の天井を見続けるしかなかった母親の気持ちをわかってあげられなかったなあ」って思ってしまうんです。