東出昌大が考える“愛”の定義「『好き』という気持ちは、恋愛だけじゃない」
「マジメに考えたから正解」という落とし穴
<Letter No.17 私には結婚願望がありません。子供も苦手なので産み育てるつもりもありません。この先どれだけ愛する人ができても、愛する人の遺伝子は残したいと思えても、自分の遺伝子を残したくないのです。 今まで付き合ってきた人たちにも結婚出産願望がないことについて話はしてきているけど、年齢を重ねるにつれて、そんな予定(こちらの都合で)で付き合い続けるのも相手に失礼じゃないかと思えてきます。 東出さんはもし生涯共にしたいと思った相手が子供は産みたくないと告白されたら、それでもその人と共にいることを選びたいと思いますか。そこから派生をして、相手が自分の一番の望みを叶えられないとわかったとき(体調などのやむを得ない理由でなく、相手側の意思でNOと言われたとき)東出さんはどうしますか。考えをお聞きしたいです。> 東出 この相談文は少し混乱している印象を受けたので、問題をちょっと分解してもいいですか。 まず、「相手に失礼じゃないかと思えてくる」っていうのは、あくまでも相談者さんの気持ちです。お相手が「失礼だ」と思うかどうかは、相手次第としか言いようがない。だからこのネガティブな思い込みは排除したほうが、思考がシンプルになると思います。 次に、僕への質問ですね。「もし生涯を共にしたいと思った相手が、子供を産みたくないと告白されたら、それでもその人と共にいることを選びたいと思いますか」。これは、もし僕がその人と一緒にいることを優先するほどの相手だったら、そう思うでしょう。 そして「相手が自分の一番の望みを叶えられないとわかったとき、どうしますか」。これも僕の一番の望みが、その相手と一緒にいることで叶わないのなら別れるでしょう。 ここまで分解してわかるのは、この相談者さんが言いたいのは「子供とかどうでもいいから、あなたと添い遂げたい」と思ってくれる人と出会いたいってことなのかなと。僕はそう推測しました。そして、そういう人は当然います。 でもここで重要なのは、人間は変化するということ。出会ったときは「子供なんかいらない、ふたりで暮らせれば幸せ」と言っていた相手が、時間が経つにつれて「あなたと子育てしてみたい」と言うようになるかもしれない。それはお相手だけじゃなくて、もしかしたら相談者さんも「この人となら子育てしてみてもいいかも」と思うようになるかもしれない。先のことは誰にもわからないんですよね。それだけ心の片隅に留めておけばいいのかな。 ──個人的には「結婚願望がない」ことと、「子供を産み育てるつもりがない」ことが、なぜか接続されているのが気になりました。「誰かと一緒に生きていくこと」と「結婚」と「出産・育児」はそれぞれ別のことなのに、相談者のなかでは強固に結びついている。 東出 そうですね。近代以降の日本では「結婚は生涯のうちに、一度はするもの」っていう固定観念があって、その認識はなんだかんだ言って今も根深い。 僕が最近読んだ『ひとりみの日本史』(大塚ひかり著/左右社)は、結婚という制度は、それほど伝統的なものではない、ということを日本史を振り返って丹念に書いていました。かつては女性ひとりに対して男性が複数人という形態があったこと、子育ては集落単位で行っていたこと、生涯独身の女性が当たり前にいたこと。私たちの先祖は、「結婚」なんて言葉とは無縁に、種をつないで生きてきたんです。 日本から目を移せば、フランスには「PACS」というパートナーシップ制度がありますよね。結婚よりもライトなパートナーシップを法的に認め、さまざまな法的権利を保障している。時代や場所が変われば、価値観もまったく異なる。こうやって視野を広げていくと、息苦しさが少しずつ和らぐかもしれません。 ──そうですね。 東出 相談者の方は、すごくマジメでいらっしゃるんだと思います。でも人間って、ともすると 「マジメに考えたのだから、この結論は正解だ」って思ってしまいがち。そこは誰もが気をつけたいですね。人間が考えることは、正解にはほど遠い。自分には正解は導き出せないという前提に立てば、いかに世の中が不確かなものなのかもわかるし、理想を高く掲げて苦しむことも減るんじゃないかな。
安里和哲