東出昌大が考える“愛”の定義「『好き』という気持ちは、恋愛だけじゃない」
愛するがゆえの恐怖に、どう打ち勝てるか
<Letter No.16 愛犬がいます。ゴールデンレトリバー3歳の女子です。いつか別れが訪れると考えると本当に気が沈みます。東出さんもこんなこと考えたりはしませんか? 同じような感覚に陥ったことがあればどのように克服したのか、または経験がなかったとしてどのように克服するべきか、ぜひアドバイスをください!> ──先ほどの相談とは違って、今度は愛はわかっているけれど、その対象を失うのが怖いという相談です。 東出 以前もこれに似た質問がありましたね。「推しとの別れが怖い」って。そのときに言ったこととも重なりますが、こればっかりは、なんとか受け入れるしかない。 僕もいろいろな動物を飼ってきて、みんな我が子だと思ってきたので、別れは辛かったです。人間の場合、親より先に子が死ぬことを「逆縁」とか「逆さ別れ」って言いますけど、ペットとの付き合いは、基本「逆縁」なんですよね。ペットを飼うとき、我々はあらかじめ先立たれることを覚悟している。 それは寂しいことだけれど、でもやっぱり、その子たちがいなかった生活よりも、いた生活のほうが絶対によかったことは間違いない。愛にあふれた時間を一緒に過ごしたことは喜ばしいことじゃないですか。そのことに感謝してあげればいいんですよ。 日常生活は忙しくてかまってあげられないときもあるかもしれない。でもふとした瞬間に、「この子もいつかいなくなっちゃうんだ」と思ったら、ぎゅっと抱きしめる。そうやって行為や言葉によって日常的に愛を表現すれば、愛犬も幸せなんじゃないかな。 多くの人がスマホを眺めて画面に多くの時間を取られている時代に、そういう幸せな時間をたくさん持てていることは幸せですから、別れもきっと乗り越えられるはずです。
愛情表現を照れてしまうのは“防衛本能”?
──今の話を聞いていて、ペットとの付き合いって、そうやってシンプルに愛を与えられるのが素敵なんだと思いました。家族や恋人、友人に対して、ふとした瞬間に愛情を表現するのは照れくさいけど、ペットにならできる。それが心地いいのかなって。 東出 僕は人間に対してもやりますよ(笑)。なんで照れくさいんですか? ──うーん、なんでだろう……。冗談めかしてなら「好きだよ」とか「愛してるよ」とか言えるけれど、日常的に愛情表現をするのは照れます。 東出 普通に伝えたらいいと思いますよ。僕は人間も動物も差異はないです。 ──東出さんは照れないですか? 東出 もちろん他人に伝えるときは照れます。あと、仕事関係の付き合いだと、誰かに好意を伝えると、別のキャストやスタッフに意図しないメッセージを伝えることになってしまうから、言わないようにするとか。でも家族だったら全然いいんじゃないかなぁ。 いやぁ、照れくさいってなんでしょうね、ちょっと話ズレちゃいますけど、食事している姿を見られるのが恥ずかしい人って意外と多いんですよ。でもこれって本能的に仕方のないことだと僕は思ってて。食事中って隙だらけだから、動物は隠れてものを食べる。食べてる姿を見られたくないのも、その名残なんじゃないかと思うんです。 そこから広げて考えてみると、誰かに好意を伝えることも、自分の心が囚われている状態であることを明らかにすること。だからきっと野生を生きるうえでは、危なっかしいことなのかもしれない。そこではたらく防衛本能が「照れ」っていう感情として表れ、ストッパーになっているんじゃないかな。まぁ、安直な考えですけどね(笑)。