オリックス・宮城、今や球界を代表する左腕 我喜屋監督が話す「琉球ジジイ」とは
苦い経験を糧にできるのが宮城の強さ
2年夏も甲子園に出場。3年生になると、ストレートも140キロ後半に達し、切れ味鋭い変化球を武器に春季九州大会では、26イニングで41奪三振、防御率0.65と圧巻の投球内容でNPBのスカウトへ好アピール。世代NO.1左腕と評する声が多くなっていた。 しかし最後の夏は県決勝で沖縄尚学に敗れ、3年連続の夏の甲子園出場はならなかった。我喜屋監督は決勝戦の投球について「らしさ」があまりなかったと振り返る。 「沖縄尚学との打ち合いという形になりましたが、高校生であるが故のまっすぐでの勝負が仇になったのかなと」 確かに最後の夏や春の九州大会での宮城の投球は力勝負する傾向があった。老獪さを売りにする現在のピッチングと比べるとギャップがある。どう考えても、次元が違うのだが、NPBの世界では力みが抜けた大人びた投球を実践している。 「当時、押し出しが決勝点になりましたが、あれもツーストライクと追い込んでから、今みたいな緩いボールを投げるのではなく、まっすぐまっすぐで、強気強気が裏目に出たのかなと思います。 宮城が素晴らしいのは、それだけはプロの世界では絶対ダメだぞと自覚し、もう一個緩いボールを使うようになった。そしてキャッチャーのリードもハマってそれが今の宮城のピッチングだと思います」 恩師の発言からは、苦い経験をしっかりと糧にできる宮城の学習能力の高さが分かる。興南の3年間で、宮城がプロの投手として活躍する素質が備わった。そして体力的な土台も高校のトレーニングで培った。投球は老獪そのものだが、マウンド以外ではにこやかな表情、ひょうきんなキャラクターも相まって、先輩選手から可愛がられている姿をよく見かける。そのギャップにファンになった方も多いだろう。我喜屋監督は高校以前の教えが大きいと語る。 「そういう意味では、彼は練習でも決して根をあげないですし、人の悪口も言わないですし、家庭のしつけも良かったと思います。さらに宜野湾ポニーの指導者の教えも非常に良かったなと、こうした繋がりが今日の彼を形成しているんじゃないですか」