昭和はヤバい時代だった…?63歳大企業社員がこれほど「不適切な働き方」でも同じ会社で40年勤められたワケ
「働き方」はこう変化した
――どのあたりで「働き方」って変化したんですかね? バブル崩壊は大きな分岐点でしたけど、たぶんその前後くらいから「過労死」がクローズアップされるようになったんです。だんだんと社会全体で労働時間(残業時間)を意識するように変わってきて、だけどこの時はまだ「目標」くらいの感覚だった。必ずやらなくてはならないと徹底するようになったのは、10年くらい前からだったと記憶してます。 ――時代って変わるんですね。 ビックリするくらい変化しますよ。10年後や20年後なんて、企業単位でも国家単位でも、どうなるかわからない。雪印も山一證券も、まさか潰れるなんて誰も思わなかった。だからこそ、リスクを背負って他社へ転職するより、今の会社にいた方がローリスクだと考えていた部分はあります。私の働いていた会社は東証一部上場企業だったので、いざという時は、転職の潰しが効くと言いますか……。 とはいえ日々の生活で精一杯で、それどころじゃなかったんですけどね。「やばい、山一證券が潰れた」「でも目の前の仕事に集中しなきゃ」「通勤片道1時間はキツイな」「長期休暇は家族サービスしないと嫁さんに怒られるぞ」「子供たちの塾代どうしよう」みたいな感じで、バタバタと自転車操業している間に、40年間が過ぎていました。
ヤバい時代に支えてくれた「戦友」たち
――令和と昭和で、他にも違いってありましたか? 昭和の時代はね、会社員の中に「鬱」という概念がなかったと言ってもいいかもしれません。少なくとも私の周りでは「元気がない」で処理されてましたね。 私の同期社員の話なんですけど、会社の最寄り駅に近づくと吐き気を催すようになり、毎朝駅のトイレで吐いてたそうなんです。それで、限界のときは会社に「休みます」って電話してくるんですけど……だらしない、根性がない、気合がない、やる気がない。社内では散々に言われてました。今の時代なら高確率で「鬱」って診断されるじゃないですか。もしかしたら労災だったかもしれない。その同期は最終的には辞めていきましたが、もし時代が違っていたら結果は変わっていたかもしれません。 ――ヤバイ時代ですね。 もちろん体調不良に対して、みんな心配はしてるんですよ。だけど、それと仕事の責任感は別物として扱われました。実は私自身、今振り返ると30歳くらいの頃、鬱症状が出ていたと思います。仕事の人間関係とか、スピード感とか、責任などで疲れちゃって……。ずっと暗い顔で下を向いてたらしく、職場の同僚から心配されてました。家の中でもぼーっと過ごしてたそうです。 ――そんな状態でも働き続けたんですね。 仲間に恵まれたので、何とか踏ん張ることができました。職場の同僚で3人くらい、心の底から悩みを打ち明けられる「戦友」がいます。彼らが、支えてくれた。飲みの場は愚痴の場でした。お互い若い頃の苦労を知っているので、今でも関係は良好です。つい先日「酒井のおかげで無事、定年を迎えることができました。ありがとう」と書かれたメッセージが届いた時は、本当に嬉しかった。 妻にも感謝です。家を守ってくれたので。ただし仕事ばかりに力を注いだ結果、妻には頭が上がらなくなりましたが……。 ――とても勉強になりました。 後編記事〈「もっと定年後を考えとけばよかった…」再雇用で働く63歳大企業社員がいま後悔する「人生を会社に捧げたツケ」〉では引き続き酒井さんに、長いサラリーマンライフを振り返った時、いったいどのような「想い」を抱いてるのか、疑問をぶつけます。
佐藤 大輝(ライター)