「山奥ニート」という現代の遁世 棚園正一さんに聞く“人生の心の保険” 「いろいろな生き方があって良い」
社会や人から距離を置き、山奥の限界集落で集団生活を送る人たち――そんな現代的な遁世の軌跡を描いた漫画『マンガ「山奥ニート」やってます。』が光文社から6月26日に刊行された。 【画像】「人生の心の保険」を持つ人たちの生活を見る 同作は、「山奥ニート」を主催する石井あらたさんの実録エッセイを漫画化したもので、JAグループの家庭雑誌『家の光』で連載されたもの。「どうやって生きていけばよいか分からない人たちが、山奥の過疎集落で、他の人たちと共同で、生活する」ことを描いた。 出費を切り詰めながら、最低限必要な生活費を稼ぎ、好きなことをして生きる――山奥での生活を選択した人たちの軌跡を「ギュッと圧縮した走馬灯のよう」にした同作。北関東の山奥で狩猟しながら半自給自足生活を送る俳優の東出昌大さんは、同作に「生きてりゃいい。けど、ニートだろうが「楽しく生きてる」なら最高じゃん!!!!」と帯コメントを寄せている。 あとがきで石井さんは、「山奥ニート」という選択を“人生の心の保険”と表現。「この作品から何かを感じて、それが新たな選択肢の土壌となり、異なる価値観に理解を深めるきっかけとなることを願います」と結んでいる。
コミカライズを手掛けた棚園正一に聞く「山奥ニート」
コミカライズを手掛けたのは棚園正一さん。自身の小・中学校時代の不登校経験を描いた漫画『学校へ行けない僕と9人の先生』(双葉社)で知られる。不登校時代に漫画家の鳥山明さんと出会ったことで世界が大きく変わったことも注目された。 山奥ニートに興味を持った背景を棚園さんはこう語る。 棚園 最初は単純に「山奥ニート」という言葉に引かれました。アウトドアとインドアのような、真逆に感じる2つの言葉がくっついて、ひとつになっていて面白いなと。 そして、『学校へ行けない僕と9人と先生』に通じるテーマが潜んでいると感じました。いろいろな生き方があって良い。自分以外の人を主人公に、そのテーマを描きたいという想いがありました。 コミカライズは、『学校へ行けない僕と9人の先生』が刊行されたころ、石井さんに直談判したという。 棚園 2015年の秋に石井さんがイベントでたまたま名古屋に来られた際に会いに行ってお話しさせていただきました。 ただ、その後、自分は他の仕事が決まって、なんとなく山奥ニートの構想から離れてしまっていたのですが、その間に石井さんは自身の体験をまとめたエッセイを光文社から出版して、それがベストセラーになり、雑誌『家の光』でコミカライズの話が進み、漫画を担当する作家として指名してくださいました。 本当にありがたい話です。原作を読んだとき、「面白い!! これを漫画にしたい!!」と気持ちが沸き立ったことを覚えています。 山奥ニートの暮らしぶりも興味深かったのですが、特に山奥に行き着いた人たちのドラマに強く引かれました。それが同じニートであった石井さんならではの視点でつづられているのが新しく感じたんです。淡々とした語り口なのですが、誰も否定しないし、認めるところから始まっているような暖かさを感じました。コミカライズさせてもらえるならば、ぜひとも、その人たちのドラマを中心にしたストーリー漫画にしたい!! そうやって漫画版の形が定まっていきました。 石井さんの書かれた『「山奥ニート」やってます。』があってこそ、描きたいものが、さらにはっきりして漫画にできたのだと思います。 コミカライズを任せていただけたことに本当に感謝しています。 棚園さんは、「山奥ニート」の取材を通じ、次のように話す。 棚園 取材に行ってみると、そこにいる人たちはそれぞれさまざまな事情がありました。夢を持つ人や、自分なりの考えを持つ人もいました。当然のことですが、誰一人として同じような人はいません。 共通しているとすれば、「現代社会の価値観に少しだけ窮屈さを感じている人たち」。でもそれは特別変わったものではなくて、日々の暮らしで誰もが程度の差はあっても感じているであろう気持ちです。 「ニート」というネガティブな印象の言葉で一括りにしてしまうと見えにくくなりますが、しっくり来ないことを考え続け、山奥にたどり着いた人たちでした。 漫画本編の最後に入れたあるせりふには、そのままのあなたでも大丈夫という気持ちを込めました。そこへ行ってみようかなと興味を持つパワーがあるなら、必ず先に道は続いていき、生きていけると。 ニートを肯定しようとか、ポジティブなイメージにしたいとか、そういう訳ではありません。 ただ、1つの言葉ではくくれない人たちがいる。それを知ることで見えることがたくさんあることを伝えられたらと思う気持ちが、描き進めるほど強くなり、制作の熱量になりました。