「外国人に体を触られたくない」「言葉が通じないのに何がわかる」…頑なだった84歳女性がフィリピン人介護士に心を開いた「意外な理由」
差別が消えた
さて、それから数年が経過した現在の状況であるが――。 ジャスミンさんは施設でも1、2位を争うほど人気のヘルパーになっていた。春江さんも手の平を返し、 「私はジャスミンが大好き。介護もジャスミンにされるのが一番いい」 とジャスミンさんにべったりで、「難しい漢字は私が全部書いてあげるからね。困ったことがあったら私に言うんだよ」と、ジャスミンさんが書く日報を手伝おうとするくらいである。 私たちが両者を打ち解けさせるために有効な何かができたわけではない。すべては彼女の人柄と行動が、自然と周囲を変えたと感じている。きっかけはコロナの“集団感染”だった。
息子より頼りになる
デイサービスの利用者のひとりが熱を出すと、瞬く間に感染が広がっていった。重症者は施設内の居室に急ごしらえで作ったシェルターに入ってもらい、感染防御をしたスタッフが当たった。軽症者については自宅に戻って貰ったが、訪問介護でスタッフを派遣し、食事をつくって送り届けた。 当然のようにコロナはスタッフにも感染が広がり、出勤不可能となる者が出てきて、感染こそ免れた濃厚接触者のスタッフも自宅待機となり、現場は圧倒的な人手不足となった。 春江さんもコロナに感染し、軽症だったため自宅に戻って貰ったが、コロナ感染にくわえ、本人の気難しい性格もあいまって息子も寄り付かなかった。そんな中、春江さんの自宅に毎日食事を送り届けたのが施設内でのコロナ感染を潜り抜けて“無事”だったジャスミンさんだった。天真爛漫を絵にかいたような性格のジャスミンさんは、嫌われようがお構いなしで、 「ハルエサーン ショクジ モッテキタヨー」 と、ずかずかと家に入っては、食事の世話を続けたのである。春江さんが抱えているコロナの病状への不安に対しても、 「ダイジョウブー キニナルナラ センセーニ、クスリモッテコイッテ イッテオクヨー」 と、フランクな物言いとは裏腹に、適切に対処していった。 この一件で春江さんはジャスミンさんの見る目が変わり、「自宅で独りになったときに、どれだけ助かったか。寄りつかない息子より頼りになった」と、繰り返し施設で話すようになった。 なんてことはない。警戒するのをやめて喋ってみたら打ち解けてしまったのである。