スティーヴ・アルビニ、ナイジェル・ゴッドリッチ……名プロデューサーが築いた90'sオルタナティブロックの潮流
Beastie Boys・レッチリ×リック・ルービン、Nirvana×ブッチ・ヴィグ
リック・ルービン リック・ルービンはさまざまなジャンルのアーティストを世に送り出し、数々の名作に関わってきたプロデューサーだが、その中でオルタナティブロックに目を向けようが向けまいが、まず記すべきはBeastie Boysとの関わりと彼らを世に送り出したことだろう。リックは大学に在学中の1984年にヒップホップとR&B専門のレコードレーベル Def Jam Recordingsをラッセル・シモンズとともに設立。Beastie Boysは同レーベルに所属し、リックのプロデュースのもと1stアルバム『Licensed To Ill』を制作し、1986年にリリース。ラップアルバムとして初の全米1位を獲得した。 実は、リックとBeastie BoysはDef Jam Recordings始動以前からの仲間。1980年代初頭、当時はハードコアパンクバンドだったBeastie Boysのメンバーがよく通っていたダウンタウンのパンク系のクラブでは、ヒップホップのレコードもかかっていたという。そこでヒップホップに惹かれた彼らはライブのMCで韻を踏むようになり、いつしかバンド演奏とMCの割合が半々くらいになっていったらしい。そのときのDJ、すなわちBeastie Boysの初代DJがリックだった。そして彼らはバンドからラップグループへと移行、パンクとヒップホップが融合した当時唯一のスタイルを誇るアルバム『Licensed To Ill』が生まれた。 Beastie Boysはもともとハードコアパンクバンドとはいえ、その頃から折衷的な音楽性を打ち出していたので、いずれヒップホップと出会っていたかもしれないが、パンクのクラブで異ジャンルのヒップホップに振り切り、仲間だったリックの作ったレーベルから作品をリリースしてNo.1ヒットを飛ばしたというフィジカルな逸話はとても魅力的だ。 リックはそんな『Licensed To Ill』収録の「No Sleep Till Brooklyn」のギターパートを、ヘヴィメタルバンドながらDef Jam Recordingsからアルバム『Reign In Blood』(1986年)をリリースしたSlayerのケリー・キング(Gt)に依頼。そしてリックのワークスの中でも最も有名な、Run-D.M.C.とAerosmithのコラボ曲「Walk This Way」(1986年)を実現させるなど、‟ヒップホップ×ロック”の先駆者となった。 1990年代に入り、リックはオルタナティブロックの雄 Red Hot Chili Peppersが、その名を広く世界に知らしめた5thアルバム『Blood Sugar Sex Magik』(1991年)のプロデュースを手掛ける。録音は彼の所有する邸宅にメンバーが泊まり込んで行われた。全米2位を記録したヒットシングル曲「Under The Bridge」の歌詞は、アンソニー・キーディス(Vo)が恥ずかしくて隠していた詩。それを偶然見つけたリックの助言がきっかけになったそう。リックはそれ以降、2011年リリースの『I’m with You』までのすべての作品と、2022年にリリースされた2枚のアルバム『Unlimited Love』『Return of the Dream Canteen』の計9作品に関わった。 また、近年のリックとThe Strokesとの関係性も気になる。2020年リリースのアルバム『The New Abnormal』での仕事で意気投合した両者は、コスタリカの山中で新作に向けたレコーディングセッションを行ったのだそう。稀代のアイデアマン、そして‟持ってる男“、リック・ルービン。アーティストには寛容に接しつつ、音へのこだわりは強い。軋轢が生まれたアーティストとのエピソードもあるが、その人柄が愛され続けるリックはこの先何を仕掛けるのか。まだまだ楽しみだ。 ブッチ・ヴィグ ブッチ・ヴィグは、Nirvanaの『Nevermind』をはじめ、The Smashing Pumpkins『Gish』(1991年)と『Siamese Dream』(1993年)、Sonic Youth『Dirty』(1992年)など、オルタナティブロック史に輝く名作のプロデュースを手掛けてきた。そして自身もGarbageのドラマーとしてバンドを率い、ヒットを飛ばしている。 Nirvanaが1991年にリリースした『Nevermind』はアンダーグラウンドを沸かせていたグランジの、商業的なヒットを狙った作品だった。そして誰もが予想だにしないほどの結果を獲得。全米、そして世界各国のロックを取り巻く景色を一変させ、メインストリームを席巻した。カート・コバーン(Vo/Gt)の感情の爆発や、サウンドの静と動のコントラストが、サビへと向かう流れの中に収まった、明快でウェルメイドな作品。それでいてあざとさを感じさせない衝動的な強さも大きな魅力なのだが、そのあまりに大きすぎる反響が、スターシステムとは関係のないところから生まれたシーンに、スターシステムとインディペンデントの分断構造を生んでしまう。しかし、カートは自身が祭り上げられることを好まない人間だった。 のちにブッチは、Nirvanaがレコーディング時はクリアでポップなサウンドを受け入れていたと話し、その中で、カートの動きに気を配りながらも、バンドは真摯な姿勢で臨んでいたと好意的な言葉を寄せ、「決して古く聴こえることのない作品」だと『Nevermind』の存在を肯定している(※1)。Nirvanaにとって『Nervermind』の制作は、当時これまでに踏み入れたことのないポップな作品を作るというピュアな挑戦だった。そしてブッチはNirvanaのラウドなサウンドの中から溢れ出る、タイトでポップなセンスを最大限引き出す仕事をした。すべてはその結果だったのだろう。その後ブッチはGarbageでも、シャーリー・マンソン(Vo)というフロントマンを立て、オルタナティブなノイズをシンプルなビートとメロディアスな歌とともに響かせヒット。そしてNirvanaはブッチではなく前述したスティーヴ・アルビニを迎え、アンダーグラウンドに回帰したアルバム『In Utero』を1993年にリリースした。 総括 アンダーグラウンドなものとオーバーグラウンドなもの、その間のグラデーション。そんな単純に割り切れる話ではないが、どのスタンスの中にも美しく見えるものもあれば、そうでないものもある。誰かにとって美しいことは誰かにとって醜いことでもあり、結局のところ真意も事実もそれを制作した当事者にしかわからない。これだけ長い文章を書いておいて元も子もないことを言うが、だからこそおもしろい。そこで交わされる意見や物議、考察によって人もカルチャーも変わっていく。本稿が、もし誰かの役に立つことができれば幸いだ。 ※1:https://www.udiscovermusic.jp/stories/nirvana-nevermind-album-2
TAISHI IWAMI