米リベラリズムの破綻招いたカーター氏 誠実な人柄は「最高の元大統領」に結実 古森義久
しかし、それよりずっと深刻だったのは米国の対外関係の悪化、東西冷戦での大幅な後退だった。カーター氏は人権外交を唱えながらも、最大の敵のソ連に対しては一方的な善意といえる融和の姿勢をとり、国防費を削っていった。軍備管理の対立案件でも善意を強調し、一方的に譲る動きをとった。
ソ連は米国のこの態度を後退とみて世界各地で攻勢に出た。その究極の動きが79年12月のアフガニスタン侵攻だった。ソ連の特殊部隊がアフガンで現職の最高指導者を処刑するという蛮行だった。東西冷戦の基本構図が一変した。カーター氏は「私のソ連に対する認識は誤っていた」と公式に言明した。
カーター外交でのもう一つの汚点は79年11月、イランのイスラム過激派に米大使館員50人以上を拘束され、444日間も人質に取られたという失態だった。
この内政、外交両面でのリベラリズムの破綻はその後の米国民を共和党保守派のロナルド・レーガン大統領への熱い支持へと駆り立てていった。
だが皮肉なことにカーター氏は退任後の40年以上の期間、元大統領として内政や外交に寄与してノーベル平和賞まで受け、「最高の元大統領」と称賛されることともなった。(ワシントン駐在客員特派員)