フランスの高級車ブランド「ファセル・ヴェガ」を知っていますか? スターリング・モスがアンバサダーを務めるも10年でなくなった理由とは【クルマ昔噺】
当時のアストンマーティンに匹敵するパフォーマンスだったファセルII
1961年には後継車「ファセルII」が誕生するが、時すでに遅し。ファセルIIの生産はおよそ180台で、1964年にはファセルは終焉を迎えるのである。とはいえ最後のフルサイズ・ファセルともいえるファセルIIの性能は大幅に引き上げられており、ダンロップ製の4輪ディスクを装備し、ステアリングはパワーアシストを持つ。さらにイギリス向けのモデルはリアにアームストロング製の4ウェイアジャスタブルダンパーが装備されていた。 このダンパーは電子制御でインパネからショックの硬さを調節できたというから、随分と進歩的であった。イギリスの『オートカー』誌のテストによれば、トップスピードは214.1km/h。メーカーの言う247km/hには届かなかったが、当時のジャガー「XK150」やアストンマーティン「DB4」に匹敵するパフォーマンスを備えたモデルだったという。一度このクルマに同乗走行する機会に恵まれたが、その圧倒的な加速感は当時のモデルとしては驚異的と感じられた。 ではなぜファセルが1960年当時下降線をたどり始めたのか。それはダニノの野望を打ち砕く大きなミスがあったからである。それが、小型スポーツカー「ファセリア」の開発であった。 1957年、ジャン・ダニノはアルファ ロメオやMGといったスポーツカーに対抗するモデルの開発を決断した。大型車で培った技術を使い、流麗なボディと高性能なエンジンを組み合わせた。そのエンジンというのが、自社開発をした1.6L DOHC 4気筒である。しかしそれがいけなかった……。
購入したユーザーは悲惨な目にあっていた
1958年8月にはファセリアのプロトタイプが完成し、公道上のテストに持ち出された。そして1959年9月28日、ファセリアはプレス発表され、その後パリ・サロンでワールドプレミアを果たすことになる。 数週間のうちに1000台を超えるオーダーがあり、ファセリアの滑り出しは絶好調だった。 シリアルナンバーA101、タイプFAと呼ばれた2台目のプロトタイプが1960年3月15日に完成。市販バージョンもその年の6月にはラインオフする予定だった。市販版はツインキャブからシングルのソレックスに変えられていた。1960年のジュネーブショーでは、ダニノによって、2+2クーペと、4シータークーペが追加されることが発表される。しかし、1960年の秋までにリリースされたモデルはすべてカブリオレであった。 プロトタイプ完成直後の1960年3月17日にはダニノ自身のドライブで、再び1600㏄ GTクラスの速度記録を達成する。スピードは193.340km/hであった。さらに1961年のモンテカルロラリーでは、Maurice Gatsonidès/van Noordwijk組の2+2クーペが、見事にクラスウィンを達成した。ところがである。こうした輝かしい事実の裏で、購入したユーザーは悲惨な目にあっていた。それはオーバーヒートによるピストン破損というトラブルだった。 ファセル社はすぐさまそのトラブルに対処して修理を受け付けた。しかし、信用の失墜は大きく、ファセルは一気に経営危機を迎えてしまう。そして、このDOHCエンジンを諦めて、ボルボ製を搭載した「ファセルIII」を投入するも焼け石に水。こうしてわずか10年でファセルの歴史は閉じてしまうのである。
【関連記事】
- 【画像】インテリアのウッドは手書き!?「ファセル・ヴェガ」を見る(全8枚)
- ◎2台しか作られなかったメルセデス・ベンツ「600クーペ」って知っていますか? 関係者へのプレゼント用に作られたモデルの正体とは【クルマ昔噺】
- ◎昭和天皇の御料車に座った!「タイプ770」通称「グロッサー・メルセデス」には後席から運転手に走行指示をするリモコンがあった!?【クルマ昔噺】
- ◎ヤマハが見た夢「OX99-11」とは? F1エンジンをデチューンしてロードカーに搭載…ロンドンでの初公開ではジョン・ワトソンがドライブ【クルマ昔噺】
- ◎アルファ ロメオ「1750 GTAmレプリカ」で第3京浜を爆走! がんばっても200キロには届かず、エキゾーストサウンドに酔いしれるのみ【クルマ昔噺】