『光る君へ』怨霊に取り憑かれた人が呻き、化粧ボロボロの女房を見て紫式部は「言いようもなくワクワク」と。そして母・倫子は喜びのあまり…中宮彰子<出産のウラ側>
◆さらに誕生パーティーまで このように、出産の立会いや引き続いての儀式は、内裏から派遣されてきた乳母や、上臈女房たちが行う仕事だったようですが、女房たちにはさらに他にも仕事がありました。 それは「産養(うぶやしない)」と呼ばれる誕生パーティーの接待役です。後一条天皇の時には産養は生後三夜、五夜、七夜に行われました。 それぞれ主催者が異なったようですが、やはり最も華やかだったのは、「との」、つまり道長主催の五夜のパーティでした。そこでは、若くて気の利いた女房八人が、魔除けの白の礼服に髪をあげて白い元結で整え、白い御盤を中宮彰子のもとに運ぶのです。 そのメンバーは、源式部(加賀守源重文の娘)、小左衛門(故備中守道時の娘)、小兵衛(左京大夫明理の娘らしい)、大輔(伊勢斎主輔親の娘、『百人一首』の歌人、伊勢大輔)、大馬(左衛門大輔頼信の娘)、小馬(左衛門佐道順の女)、小兵部(蔵人という庶政の娘)、小木工(木工允の平文義という人の娘)。 紫式部も「姿形のいい若い人を集めて、向かい合って並ばせでいる様子は、大変見栄えのするものだ」としています。 彼女らはいずれも紫式部と同様の、中級以下の貴族の娘たちで、道長に指名されたといいますから、まさに晴れ舞台のはずなのです。ところがみんないやがって泣いていたと言います。どうやら日頃見慣れない若い公達がたくさん来ている中で目立つのが嫌、ということなのでしょう。 一方、紫式部は・・・明らかに楽しんでいます。高い身分でもなく若くもない彼女は、かなり気楽な立場でこのルポルタージュを書いているようです。
◆赤染衛門の記録には倫子の横顔も ところで、この出産の場面は、ほとんど同じ内容で、赤染衛門(演:凰稀かなめさん)の書いた『栄花物語』にもみられます。しかし多くの人には『栄花物語』は『紫式部日記』のコピペだと理解されているようです。 実際両者を読み比べると、『栄花物語』の書き方は『紫式部日記』の要約っぽいところが多いのですが、ところが『栄花物語』にも『紫式部日記』には見られない独自情報もあるのです。 たとえば、源倫子が赤子のへその緒を切る時に「これは罪得ること」とかねてから思っていて、引き受けるかどうか迷っていた、と伝える一節があります。当時、出産はケガレと考えられていたので、「血のケガレ、お産のケガレを全て私が引き受けなければ」という気合が必要だったようです。 しかし実際には、娘の出産の嬉しさを前にそんな迷いもふっとんだ、としています。 これは現場の身近にいないと書けない情報ではないかと思われます。赤染衛門は紫式部より年上で、はやくから倫子に仕えていたらしいので、彼女は倫子付きの女房として、紫式部より御帳近く、へその緒を切る現場に立ち会っていたのかもしれません。 それにしても面白いのは、実物の虎を見る機会などなかったはずなのに、平安貴族たちが、虎が猛々しく、その歩みは強力で頼もしいものと思っていたことです。 まもなく虎をタイトルに冠した朝ドラ『虎に翼』も最終回を迎えますが、平安時代の当時から、虎はただの野生動物ではなく、偉大な魔獣を象徴していたようです。
榎村寛之
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