JO1・豆原一成の音楽ルーツを、今市隆二が聞く! 中学生で踊っていた三代目JSBの楽曲は?
新曲をライブで披露したい
5月29日、JO1は8枚目のシングル『HITCHHIKER』をリリースした。番組では、シングルのリード曲「Love seeker」をオンエア。 豆原:『Love seeker』はシングルのリード曲なんですけども、愛を求めてヒッチハイクをする、ラブがたくさん詰まった楽曲になっています。JO1史上一番ファンクなMVでもあり、みなさんに楽しんでもらえるんじゃないかなと思います。 今市:めっちゃアゲでファンクですね。ライブでも盛り上がるんじゃないですか? 豆原:お客さんの前でっていうのはまだできていないので、この曲でいっぱいライブをしたいなって思います。 今市:曲にあった合いの手もすごくいいなと思いました。
「PRODUCE 101」オーディションを振り返る
続けて、豆原から「PRODUCE 101 JAPAN」の出演エピソードを聞いた。「PRODUCE 101 JAPAN」では、練習生101名でサバイバルオーディションをおこない、最終選考に残った11名がJO1のメンバーとなった。 今市:オーディションに参加するきっかけは何でしたか? 豆原:もともと「PRODUCE 101」は韓国のオーディション番組で、それを日本でやることになり、その情報をお姉ちゃんが見つけてきたんですね。「一成、受けてみなよ」と言われて、最初は迷っていたんですけど、何かのきっかけになればいいなと思って応募しました。 今市:お姉ちゃんに感謝だね! 豆原:本当にそうですね(笑)。 今市:ダンスレッスンもお姉ちゃんの影響だって言っていたよね? お姉ちゃんに感謝だってファンの人も思っていると思う。 豆原がオーディション先に履歴書を送ったのは2019年5月30日だったという。5月31日が応募締め切りだったが、まだ迷っていたという豆原に、姉が「今から応募しよう」と声をかけたのだとか。 今市:お姉ちゃん、ありがとう! お姉ちゃんが背中を押してくれていなかったらさ、たぶん受けていなかったんじゃない? 豆原:そうですね。電話がかかってこなかったらスルーしていたかもしれないです。今思うとありがたいですね。 今市:オーディションの期間はどれぐらいだったの? 豆原:半年ですね。夏から12月までありました。 今市:何次審査まであったんですか? 豆原:「PRODUCE 101」ってまず101人が選ばれるんですけど、それまでに書類審査、1次審査、2次審査があります。101人に選ばれてからは国民投票で決まっていく番組でした。韓国での撮影もあったので初めて海外に行く経験ができたり、修学旅行ぶりぐらいに東京に行ったりもして、ドキドキしていました。東京は電車がありすぎて、どこに乗ればいいんだって戸惑いましたね(笑)。オーディション中は携帯とかも使えないので、親ともなかなか連絡ができない状況のなかやっていましたね。 今市:修行みたいなことですよね。すごいなあ。 豆原:もうやりたくないです(笑)。 今市:高校生だし、初めての経験ばかりだったでしょ。いろいろ怖かったんじゃない? 豆原:怖かったですね。僕はオーディションのなかでも当時17歳で、世代のなかでもほぼ一番下だったんです。そのなかでどうやって打ち解けていこうかってことも心配でしたね。 今市:頑張ったんだねえ。どういう審査があったんですか? デビュー候補生たちは練習生として歌やダンスなどを披露し、さまざまなミッションに挑戦。最終的に勝ち残った20名のなかからデビューする11名が選ばれた。ファイナリストが選ばれた段階では仲間意識が芽生えており、「リハーサルでも団結感がすごくあったので、(番組が)終わった後の気持ちの整理がなかなかつかなかった」と明かす。 そんな豆原がオーディション中によく聴いていた楽曲は、GENERATIONSの『AGEHA』だという。 豆原:三代目さんも大好きなんですけど、GENERATIONSさんも大好きなんですよ。『AGEHA』も文化祭で踊ったぐらい好きです。 今市:そうなんだ! 豆原:第一次審査のときも『AGEHA』を踊りました。 今市:嬉しいねえ。