【ラグリパWest】関西の超速ラグビー。関西学院大学
関西における「超速ラグビー」である。 BKを中心にした速いアタックで、関西学院は9回目の関西大学春季トーナメントで初めて準優勝する。7月7日、京産大との決勝戦は49-73。トライ数は7対11だった。 関西学院は前半の4分と21分にトライする。最初はCTB川村祐太のキックに昨年度のU20日本代表、WTB武藤航生(こうしょう)が反応。2本目はその川村がアングルを変え、パスをもらい、駆け抜ける。脚力にも判断にも速さがあった。 大勝した京産大のFB主将、辻野隼大(はやた)は関西学院を分析する。 「ボールを大きく動かしていました」 展開もまた速さである。FWを定位置に立たせるポッドを含め京産大を惑わせた。 「失点が多く、納得いく試合ではありません」 辻野に優勝の笑顔はなかった。 小樋山樹(こひやま・しげる)は語る。 「去年は練習時間の8割をディフェンスに、今年は6、7割をアタックに割いています」 関西学院のOB監督はこの10月で35歳。NTTドコモ(現RH大阪)で主にSHとしてプレーしたあと、監督についた。就任5年目。その学びは積み重なる。 アタック重視の理由を副将CTBの松本壮馬は説明した。 「去年の秋のリーグ戦では、京産大と天理にノートライで負けました」 優勝の京産大には9-34。2位の天理には6-28だった。 関西学院のBKコーチはOBの房本泰治(たいち)。現役時代はキックやパスに優れたSOだった。大手損害保険会社につとめる26歳はその練習内容について言及する。 「普段はパスなどのハンドリングや4対3や4対2などゲームに即した、基本的なことを繰り返しています」 その練習に選手たちの経験が溶け込む。4年生の川村と松本、3年生の武藤はその初年度から公式戦に出場している。武藤と同級生のNO8小林典大(てんた)も突破に磨きをかける。昨年度のU20日本代表である。 関西学院は昨年、SH金築(かねつき)達也とSO齊藤綜馬のキックで地域を獲得する攻め方だった。その2人のHB団の卒業も速さへの志向を後押しする。 キックとディフェンス中心だった昨年の関西リーグは京産大と天理以外には勝ち、5勝2敗で3位に入った。結果、4大会ぶり12回目の大学選手権に出場する。60回大会は8強敗退。帝京に15-78だった。帝京は12回目の優勝を果たす。 金築や齊藤が抜けた新チームは後期試験の終わった2月3日から全体練習を始めた。主将は新4年生の話し合いでHOの平生翔大(ひらお・しょうだい)に決まった。 「引っ張ってくれます。任せられます」 監督の小樋山も全幅の信頼を寄せる。平生も1年生から公式戦に出ている。 平生を中心にした4年生は関西学院の特色である「ファミリー制度」を見直した。これは縦割りで15のグループを作り、トレーニングをしたり、練習後に食事をしたりする。チームビルディングのひとつだ。 「平生が下のチームの試合でウォーター・ボーイをやってくれたりしています」 小樋山は春シーズンを思い返した。 関西学院において学生の結束は不可欠だ。歴史的にその運営の中心は学生にゆだねられてきた。いわゆる「学生主体」である。そのためのファミリー制度であり、平生の主将選出にもそれは表れている。首脳陣の小樋山も房本もその中で4年間を過ごした。 それを踏まえた上で小樋山は話す。 「学生主体はどこも言っています。僕らは僕らにしかできないことを追求していきたい」 初等部からの家族的な部分に、中学部、高等部で外部者を加え、大学で主体性を落とし込み、そのラグビーを最大化させる。関西学院のテーマに指導者と学生は向き合う。 今年の学生主体が結実するかどうかのひとつにスクラムがある。 昨冬の帝京戦、15-78と大差がつく発端になったのはスクラムトライである。前半31分だった。そこから崩れる。 この春季大会でも、京産大にスクラムを押し込まれる。開始9分、NO8シオネ・ポルテレに最終的にインゴールを割られた。 京産大は大西健が監督に就任した1973年(昭和48)から半世紀以上をかけて、スクラムにこだわり、今も練習を続けている。 関西学院は<春にスクラム4000本>という目標を決めたことがある。今の4年生が高3の時、5年前だった。左PR主将の原口浩明を軸に監督の牟田至との話し合いがあった。原口は文字通り先頭に立ち、粉骨砕身を続ける。7月に4000本を組み切った。 強みをひとつ手に入れたチームは入替戦出場の落ち込みを乗り越え、5大会ぶりに大学選手権に出場する。56回大会は8強戦で明治に14-22と8点差に迫った。明治は早稲田に35-45と敗れるも準優勝している。 関西学院の全体練習再開は来月3日。前期テストによる中断期間が明ける。夏合宿は菅平で16日から25日まで。筑波、慶應、青山学院との対戦が予定されている。 関西学院の創部は1928年(昭和3)。戦後10年ほどは関西のトップだった。その後、長く低迷。競技推薦が導入されたことなどで今世紀初めに復活した。その分、今年、61回目となる大学選手権での出場は12回と少なく、4強進出はまだない。その未知の領域に踏み込むためも、この朱紺ジャージーが標榜する主体性に磨きをかけたい。メンバーはいる。 (文:鎮 勝也)