ストリップ劇場で熊田曜子とMV撮影「熊田さんはプロ中のプロでした」
放送作家として30年にわたり、多くの長寿番組やヒット番組を担当。大きな成功を遂げながらも、さらなる夢を追い求める…。シンガーソングライターとしての顔も持ち、積極的な活動を続ける西田哲也は、50代を迎え、まだ見ぬ夢の途中にいた。 【動画】芸能人が驚きの近況報告!「じっくり聞いタロウ」
ストリップ劇場を舞台に、熊田曜子が艶めかしいポールダンスで魅了する「花電車テクノ」を始め、「ブルジョア列車」や「夜の散歩」では、誰もが共感する哀愁を曲にのせ、独特なメロディラインを放つ…。西田の楽曲は、1度聴いたら病みつきになること間違いなしだ。 3月24日(日)には、THE FIRST LIVE「もったいないやん」(六本木BAUHAUS:開場16時半 開演17時 前売り:1000円 当日券:1500円※共に1ドリンク込み)も開催する。 今回の「テレ東プラス 人生劇場」では、放送作家・西田哲也物語#3をお届け。彼の音楽活動やルーツに迫る。
お呼びがかかれば、ハイエナのようにどんな場所でも歌わせてもらいたい
――#1、2では、西田さんの放送作家人生に迫りましたが、#3では、いよいよ音楽活動について伺います。そもそも、西田さんの音楽のルーツは? 「最初にフワッと思い浮かぶのは長渕剛さんなんですよね。中学の頃、『SUPER STAR』という曲を聴いて…。当時の長渕さんは大阪城ホールを舞台にして、ギター1本で弾き語りのライブをやっていらっしゃったんですよ。憧れましたよね。 高校生になると、世の中はバンドブームで、チャラいヤツはみんな軽音に。そんな中、音楽の授業で、クラシックギターを教えてもらえたんですよね。この頃からギターをいじりだして、高校3年生の時、エレファントカシマシに出会いました。エレカシさんはまだ売れていなかったんですけど、もう僕は、その頃からどっぷり! エレカシ一択みたいな感じで聴いていて、その影響を受けて曲を作り出したのが大学生の時でした。 なんかルーツとか取材してもらえるなんて、ライターさんが急に『ROCKIN'ON JAPAN』の人に見えてきましたよ(笑)。ええなぁこういうの」 ――私でよければいくらでも聞きますよ(笑)。西田さんは、大学生の頃に作った曲を、今歌っているということなんですよね? それって珍しくないですか。 「そうなんですよ。『花電車』『ブルジョア列車』『夜の散歩』は、放送作家になる前、20代の頃に作った曲で。やっぱり当時は背伸びしてたんですかね? 今、50代に入ってやっとしっくりくるようになったというか。20代の頃から、サラリーマンの悲哀や成功者への憧れ、ストリッパーが40歳になった時の曲とか、若年寄りみたいな曲ばかり作っていました」 ――放送作家として成功を収め、コロナ禍で本腰を入れ始めたアーティスト活動。若き日の西田さんが作った曲に、ようやく時代が追いついてきたと。 「ライターさんが盛り上げてくださるから、僕も調子に乗って、だんだんそんな気がしてきましたよ(笑)」