五社巴×深作健太 五社英雄と深作欣二、破天荒な映画監督を父に持ち。「父の彫り物には腰を抜かすほど驚きました」「自分のお金では絶対に映画を撮るな、と言われ」
日本映画史に残る名作を数多く生んだ二人の映画監督、と。アウトローたちの生きざまを一貫して描いてきた二人は、私生活でも時に注目を集めてきた。破天荒に生きた名監督の娘と息子が、初めて二人で父を語り合う(構成=大西展子 撮影=大河内禎) 【写真】娘と家でくつろぐ五社監督の笑顔 * * * * * * * ◆二人とも、生涯商業映画にこだわった 五社 父と深作さんは1歳違いで、同時代に映画を作り続けたライバルで、共に東映を支えていたという縁もあるんですよね。 深作 親父は五社さんをすごく意識していたと思います。時代劇も女性映画にシフトしていったのも、五社さんが先ですし。ただ、五社さんは純然たるヤクザ映画は撮られてないんですね。 五社 ないです。だから、深作さんの『仁義なき戦い』には感動した半面、すごいショックを受けたと思いますし、やる気を掻き立てられたはず。『鬼龍院~』の時は助監督が深作組と重なっているんですね。 その助監督が、現場に着古した『仁義なき戦い』のスタッフTシャツを着てきたそうで。「俺は深作組でやってるんだ」という姿を見せつけられた父は悔しかったでしょうし、「深作を超えてやる」という気持ちを強くしただろうなと思います。 深作 役者さんも重なってましたよね。一方で、五社さんは仲代達矢さんなど俳優座の役者さんたちと密接でしたけど、親父の場合はスターシステムが苦手で、菅原文太さんや千葉真一さん、あるいはピラニア軍団とか、苦労して這い上がった役者さんたちを愛していました。でも、僕はあの頃の五社さんの洗練された世界が好きでしたね。 五社 ありがとうございます。私も『仁義なき戦い』を何回見たことか。
深作 大人になって親父と飲んでいる時に「ヤクザ映画ってどうだったの?」という話をしたら、「俺はヤクザに感情移入したことはない。ヤクザにちゃんと感情移入して撮るのは五社エイユウのほうだ。あいつ、刺青も入れてるらしいぞ」って。 五社 父は義理人情にあつい極道の世界に憧れている面もありましたね。 深作 彫り物を入れたのはいつだったのですか。 五社 いろんなことを乗り越えて、『鬼龍院~』が大ヒットした後。今後どんな作品を撮れるのだろうかという不安から軽度の鬱状態になって、死にたいという話ばかりするようになったんですよ。その時に極道の知り合いから、「そこまで死にとらわれているなら、彫り物でも入れて覚悟を決めろ」と言われたようです。 ちょうど『陽暉楼』(83年)を撮っている時で、彫芳の三代目が約半年かけて背中一面に彫ったのが「渡辺綱(わたなべのつな)の鬼退治」の図柄。背中上段に描かれた鬼はカッと目をむき迫力満点で、私は腰を抜かすほど驚きました。 深作 そういえば、それ以前に五社さんが銃刀法違反容疑で逮捕されたことで、親父は五社さんが撮るはずだった『魔界転生』(81年)を撮れたんですよね。 五社 そうそう、そんな縁もありましたね。母の家出と私の事故が続いて起こり、その直後に今度は父が預かっていた拳銃の所持で逮捕されて……。それにしても、健太さんはお父さんと同じ職業についていますけど、私は映画の仕事にかかわろうとは200パーセント思わなかった。家を抵当に入れて映画を撮った監督もいらっしゃいましたが、そんなのとんでもないわって。 深作 大島渚さんや今村昌平さんは独立して自分の好きな映画を苦労しながら撮っていましたけど、僕は親父から「自分のお金では絶対に映画を撮るな」と言われてきました。そういう点では、親父も五社さんも、生涯、商業映画を撮っていた。芸術性よりもお客さんのことを絶えず考えていた監督という点で、僕らの父親は似てますね。 五社 いかにお客さんを喜ばせ、ヒット作を作るかが大事だ、と。