平日は会社員、休日はバンドマン。自己流スタイルを貫き続けた、the原爆オナニーズTAYLOWと「パンクの本質」
「そんなのパンクじゃない」という声に対するTAYLOWの答え
バンドを結成しても普段は別の仕事を持ち、ライブは会社が休みの日のみ。バンドの人気が高まってもメジャー進出は考えず、インディーズで活動していくというTAYLOWの基本姿勢は崩れなかった。 TAYLOWだけではなく、the原爆オナニーズの現メンバーは全員、彼と同様に別の仕事を持ち、休みの日限定でバンド活動を継続してきた。 「たまたま原爆に同じ考えの人が集まったわけではなく、要するに僕が洗脳したんです。『そんなんじゃ、60になったとき食ってけないよ』って。会社では総務畑の仕事をしていたこともあって、現実を冷静に見てたんで。 EDDIE(ベースのエディ。1982年からthe原爆オナニーズで活動)は僕と同じように学校を出て就職したから、考え方は完全に一致していました。SHIGEKIくん(ギターのシゲキ。1983年加入。海外転勤のため2001年に脱退)はメジャーに行きたいという意思を持っていたけど、僕とEDDIEに『人生設計を考えたときさ』なんて言われて、考えを変えたみたい。 面白いことにその頃のライブハウスは、土曜日や日曜日ってプロの人はライブをやらないんですよ。月曜日から金曜日までがプロバンド、土日はセミプロやアマチュアバンドと住み分けがあった。こちらも平日は働いてるから、東京でライブやるにも土日しか行けないし、ちょうどいいやと思いました」 バンドを続けていくためには、むしろしっかりとした別の仕事を持っていなければならないというTAYLOWの考えに賛同したメンバーで結束するthe原爆オナニーズ。一方で、バンドのオリジナルメンバーである良次雄(ギター)や、1982年に加入し1985年に再加入したドラムのTATSUYA(中村達也)のように、ミュージシャン志向の強いメンバーは短期間で脱退していった。 「そんなのロックじゃない、パンクじゃないと言う人がいるかもしれないけど、実はそれこそがパンクの本質だと僕は思っていて。 パンクっていうのは、自分がどのように生活してどのようにありたいかを見据えて、どう自己実現していくかを考えることだと思っとったんでね。それを音楽で実現できるのならそれでもいいんだけど、僕らは日本の音楽業界では受け入れられにくいと思ったから、もう一本の道筋を作っていこうって考えたんですよ」