20年前、水没バスの屋根で一夜過ごした「奇跡」 死者95人の台風23号、被災者ら語る救出劇
全国で死者95人、京都府内でも死者15人、重軽傷者202人を出した2004年の台風23号による甚大な被害から20年となった。水没したバスの屋上で一夜を過ごした被災者らに当時の状況を取材し、被災時の行動や日頃の備えを探った。 【当時の写真】バスの屋根から救助される乗客たち ■カーテン裂いた「命綱」で屋根に 同年10月20日午前から21日朝にかけ、台風23号がもたらす大雨によって府内を流れる由良川が広範囲で氾濫した。 「バスの上に避難しなければ助からないと、早々に全員が分かっていたと思う」と小畠唯美さん(87)=兵庫県豊岡市=は振り返る。小畠さんら同市の退職者ら37人を乗せた観光バスは20日夜、舞鶴市志高の国道175号で立ち往生。すぐに車内の通路、座席が水に沈んだ。 カーテンを裂いて作った「命綱」を伝い、全員が屋根に移った。濁った水に囲まれた屋根の上で身を寄せ合った。体温を奪われないよう、歌ったり手を動かしたりして励まし合ったという。 21日午前6時半ごろ、救助のボートやヘリコプターが到着。約10時間孤立状態だった。「思い出すと今でも涙が出る。奇跡だった。一人一人が機転を利かせた結果だ」とかみしめる。 ■ダムでぎりぎりの調節、救出一報に歓声 全員救助の背景には、由良川上流の大野ダム(南丹市美山町)が人命優先で放水量を絞ったことも一因とされる。バスの立ち往生を受け、舞鶴市が府に協力を要請。流入量や降雨予測などを基に、府は緊急放流水位を超えてもダムに貯留し続けることを決めた。 当時、府庁の河川課で同ダムの管理にあたった水口剛さん(65)=宇治市=は、ぎりぎりの調節を鮮明に覚えている。「ダム事務所の現場もみな必死だった。救出の一報が入ると河川課は歓声や拍手で沸いた」。 ■濁流の中から叫び声 府北部一帯で浸水や土砂崩れが相次ぎ、各自治体に救助要請が絶え間なく寄せられた。 福知山消防署予防課の吉良文雄さん(51)と清水章人さん(45)は当時、由良川近くで取り残されたトラック運転手の救助に向かった。現場への道が冠水し、川から押し寄せる水流の勢いは強い。運転手から連絡が途絶え、不安がよぎる。アルミ製ボートを4人で担ぎ、山際の浅瀬を縫うように徒歩で進んだ。