「1番はデビューすること」2年連続武者修行中の中井卓大がレアルへの思いを語る…苦しんだカスティージャ時代は「ラウールの決断を尊重」
プリメーラ・フェデラシオン(スペイン3部)のアモレビエタに所属するMF中井卓大が、レアル・マドリーへの思いを語った。スペイン『Relevo』が伝えた。 【動画】坊主姿で写真撮影に臨む中井卓大 10年前、10歳の頃にマドリーの下部組織に入団した中井。“ピピ”の愛称で親しまれた少年は、世界最高のクラブの1つで育った。 スペイン語もわからない中でトライアルに合格。下部組織でも期待された才能の1人で、飛び級で2022年7月にはカスティージャに昇格したが、なかなか出番を得られず。ファーストチームのトレーニングには参加するも苦しい時間を過ごすと、2023-24シーズンはラージョ・マハダオンダ、そして今シーズンはアモレビエタとレンタル移籍を繰り返している。 3歳からサッカーを始めたという中井は、『Relevo』のインタビューで、知らないうちにマドリーのトライアルを受けていたと明かした。 「マドリードでトライアルを受けた時、それがレアル・マドリーのトライアルだとは知らなかったんです(笑)。母は僕が緊張していることを知っていて、サッカーを楽しみ、別の経験をするためのテストだと言っていました」 「そこから突然フレンドリーマッチが2試合あり、それが終わってから2週間後に、僕がマドリーの選手であると伝えられました。僕は通訳を連れてここにやってきましたが、母が僕にこのことを教えてくれなかったことに気がつきました」 「知らなかったけど、嬉しかったです。マドリーは世界最高のクラブです。そのクラブ、そのチームの選手であることは大きな自信を与えてくれました」 思わぬ形でマドリーの選手となった中井。世界最高のクラブに加入したことをすぐに感じたという。 「僕が日本で所属していたチームには、ロッカールームさえありませんでした。着替えてすぐにトレーニングに向かいました。バルデベバスに行くと、世界最高の施設の1つを見つけることができました。最高のチームです」 「僕は外国から来ましたし、日本人以外の外国人と会うことも初めてだったので、最初は緊張しました。僕はスペイン語が話せませんでしたが、クラスメイトがたくさん助けてくれて、とても安心できました」 中井はマドリーにある学校に通いスペイン語を勉強。そこからサッカーのトレーニングをし、サッカーだけでなく、人間としての成長もさせてもらったという。その中で、しっかりとステップアップした中井。ポイントはサッカーだけではない部分でも成長することだとした。 「難しい質問ですね(笑)。僕はマドリーで9年間過ごしましたが、今でもマドリーに所属しており、彼らが教えてくれる人格と価値観が重要です。たとえピッチの中で非常に優れていたとしても、外で優れた人間でなければ、望むところには到達できません」 「ピッチの中でも外でも良くなければなりません。僕はピッチ内よりも外での在り方を重視しています。ボールがあれば自分のやりたいことができ、どうしたらもっと上手くできるかを考えるでしょう。でも、実際に外ではそう簡単には行きません」 ただ、サッカーが上手ければ良いというわけではないのがマドリーの教え。子供の頃から期待をかけられていた中井だが、「ニュースは見ないんです」とプレッシャーを感じることはなかったという。ただ、カスティージャに昇格してからは苦しむことに。それはチームが非常に良い状態だったからだと語った。 「僕がカスティージャにいた年、つまりデビューした年は、とても良いチームでした。僕たちはほとんどの試合に勝ち、2位でプレーオフに進みましたが、良いダイナミクスがあるときに選手を変えたり、スタメンを変えることは非常に難しいです」 「僕はラウールの決断を尊重していました。彼はとても良い監督です。僕のポジションにはキャプテンに加え、アリバス、ドトール、テオがいました。彼らは非常に優れた選手だったので、難しかったです。僕は懸命に続けましたが、チームはうまく行っていましたし、監督の決定は常に尊重されなければなりません」 ラウール・ゴンサレス監督の下でほとんど出番をもらえず。ファーストチームのトレーニングに参加しながらも、ピッチに立てない苦しさはあっただろう。その中で、初めてマドリー以外のチームでプレーすることを決断。まだまだ挑戦は続くが、やはりマドリーでプレーしたい思いは強いようだ。 「僕はまだマドリーとの契約が残っており、もちろん一番良いことはマドリーに戻って試合に出場し、できればファーストチームでデビューすることです。世界最高のクラブです。いつかそうなる時のために、僕は働き続けます」
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