酒臭い阪神ベンチ、寝不足でKOのドラ1 敗戦の祈り届かず…優勝翌日の“悲劇”
凄まじかった猛虎打線…心強かった掛布の言葉「すぐ逆転してやる」
8月12日の日航機事故で中埜肇球団社長を失う悲しい出来事もあった中で、チーム一丸となってつかんだリーグ優勝&日本一でもあった。1番・真弓明信外野手、3番・ランディ・バース内野手、4番・掛布、5番・岡田が中心のニューダイナマイト打線の破壊力はすさまじかった。中田氏は「よく僕は言うんですよ。どんなピッチャーが投げても勝ち投手になれたでぇ、少々、点をとられたってなれたでぇってね」と話したが、当時はその状況で4番の言葉に救われたという。 「掛布さんが言ってくれたんですよ。『点をとられようが何しようと(先発は)最低5回投げないと勝ち投手になれないやんか、お前は実際、5回投げているやん。自信持っていいんやで』って。あれは心強かったですねぇ。その話を掛布さんにしたら『俺、言ったかな』って言っていましたけどね」。試合中のマウンドもそう。「例えば初回に3点取られても掛布さんとかが『もうちょっと頑張れ、すぐ逆転してやるから』と声をかけてくれて、本当にそうなりましたからね」。 1985年、プロ5年目の中田氏は31登板、12勝5敗、防御率4.23。「ピッチャーはみんな防御率がよくなかったんですけど、それ以上、悪くしなければいいって感じでしたね」と野手には本当に感謝している。打撃の援護だけはない。「(一塁手の)バースはね。ボール回しで最後、ピッチャーに返す時、ナックルを放ってくるんですよ。ホンマに揺れて……。で、笑っているんですよ、あいつ。そんなところでもリラックスさせてくれましたよね」。 ショートを守っていた平田勝男内野手は中田氏と同い年。「あいつは声がでかい。いつも2ストライクを取ったらね『おい、ちゅんた(中田)、広く、広く』って言うんですよ。もうわかっているから思うくらい、いつもね。声が通るから、よう聞こえるんですよ。でも、それが励みにもなりましたよね」と、これもまた懐かしそうに話した。 時は流れ、2023年に岡田監督率いる阪神が1985年以来、2度目の日本一になった。「なってほしかったけど、複雑でもありましたね。『日本一は俺たちだけだったからなぁ』って平田とも話していました。まぁ、平田は去年(2023年)もヘッドコーチでしたけどね」。そう言って中田氏は微笑んだ。そして「でもね。やっぱり1985年の(阪神)打線はスケールが違い過ぎましたよ。すべてが桁違いでしたよ」と強調した。
山口真司 / Shinji Yamaguchi